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【ぶらり庄川散歩シリーズ2】 2016.2.18
【2016.02.13Facebook記事より】

岩黒団地


「岩黒」について
庄川町で「岩黒」といえば、名水で名高い瓜裂清水の背後にある岩黒団地を思いつく人が多いでしょう。
じつは、この岩黒というのはとても古い地名なのです。そもそもの話をすると、元和5年(1619)以前は「かなや」「藤かけわたり」「いわくろ」の三村に分かれていましたが、寛文10年(1670)に合併して金屋岩黒村となりました。
寛文10年というと今から346年前。ちょうど松川除堤防の工事に着手した年です。かなり古い地名ですね。
ですが、おそらく岩黒という地名はさらに古いと考えられます。
なぜなら、江戸時代前に「岩黒館」という中世の居館があったとの伝承があるからです。昭和初め頃の耕地整理前までは「殿堀」という堀や屋敷跡があったと『東山見史料』には記載されています。おそらくその居館は室町時代から戦国時代頃のものであったと思われます。
2013年にポンポン野で遺跡の発掘調査を行いました。その際にイネ属の花粉が検出されていて、付近の年代測定から少なくとも9世紀には稲作を行っていたことがわかっています。ですので、岩黒という地名はさらに平安時代くらいまで遡る可能性があるのです。
おっと、いけない。これ以上熱を入れて記事を書くと読者が減ってしまうので、今日はこの辺にしておきます(笑)

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