若林の歴史をひも解いてみたいと思います。
まずは狐島のはじまりの話をしましょう。ときは14世紀、南北朝時代のこと。狐島の憶念寺さんの寺伝によれば、祖先は南朝の武臣だったのですが北朝が優勢だったので、応安年中(1368〜1374)に畿内から現在の狐島に移って来たそうです。野原庄左衛門と名乗り、土地を開拓しました。この人物こそが村の開祖であり、寺の祖先であるとの言い伝えです。
その憶念寺には恐ろしい伝承があります。
織田信長が越前の一向一揆を制圧しようとしていた頃、木舟城主石黒左近将監は織田方の味方につき、真宗寺院を焼き払おうとしました。石黒左近は水島の勝満寺を焼き、憶念寺の襲撃を企てました。
それを聞きつけた憶念寺の住職は村の若者を集め、西中の森で待ち伏せしました。その夜、石黒左近が通りがかったところ縄に首をかけて落馬し、首級を取られました。その森は「頭なしの森」と呼ばれていたそうです。
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