砺波と真宗とのかかわりは、本願寺5代綽如(しゃくにょ)が砺波郡山斐郷(やまひのごう)内井波で、1390年(明徳元)に瑞泉寺を建立したことに始まる。綽如は1393年(明徳4)にこの地で没するが、本願寺6代巧如(ぎょうにょ)の三男如乗(にょじょう)が綽如のあとをついで、瑞泉寺第2代となる。これ以降、北陸真宗勢力は、瑞泉寺を中心として、農民の門徒化を進めていった。しかし、真宗勢力が北陸の地で最も拡大するのは、(表1)から明らかなように、1471年(文明3)の蓮如の吉崎御坊創建(よしざきごぼうそうけん)のあとのことである。この頃はちょうど応仁の乱の最中で、農村では惣村(そうそん)が生まれつつある頃でもあった。蓮如はこの惣村の中心である坊主・年老(としより)・長(おとな)をまず門徒化し、そして、彼らを通じて農民の深部にまで真宗を浸透させた。こうして、農民を中心に増大した門徒たちは、本願寺を中心に団結し、一大勢力をなした。これが世にいう、一向一揆である。砺波地方の真宗勢力も、本願寺と共に活発に行動したが、具体的には(表2)を参照されたい。
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