戦前の町村が市に昇格するには内務大臣の許可を必要としたが、戦後の1946年(昭和21)からは、都道府県知事の許可があれば市に昇格できることになった。富山県下でも町村財政の貧困、戦後の復興、経済界の混乱、地方公共団体業務等たくさんの仕事が山積みされ、小さな村の経済では四苦八苦の村政であった。あちこちの町村で合併の機運が高まり、この地方では1952年(昭和27)4月、出町を中心とした庄下・中野・五鹿屋・油田・林の1町5か村が合併して県下にさきがけ、「砺波町を作った。このことによって大型予算で事業効果をあげ、合理化を図っての経費削減、大同団結による近隣町村の融和と親睦など町民から喜ばれ、これが砺波市誕生への第一歩となった。
さらに1953年(昭和28)には町村合併促進法が執行され、大規模な町村合併が全県的に行なわれた。
1954年(昭和29)1月には南般若・柳瀬・太田・東野尻・高波の5か村が砺波町に編入合併し、庄川の西側にある村々全部が「砺波町」となった。同年には地方自治法の一部が改正され、市制をめざす町村にあっては、人口5万人以上を必要とすることになった。そこで砺波町としては人口3万余りの町民の数では到底「市」は望みようもないことから、この際、法令施行前に庄東4か村の般若・東般若・栴檀野・栴檀山へ編入合併を呼びかけ「砺波市」の誕生を実現しようと勧誘に奔走した。
庄川を隔てての庄東4か村は、川に添った細長い地域であるため、政治・経済ともに川西との交流は昔からあまり行なわれなかった。ことに、栴檀野や東般若の北部地区は昔から中田町。戸出町との往来が多く栴檀山地区も庄川町・井波町と経済的に結ばれていた関係上、合併反対者も多く編入には困難を極めた。だが、庄東地域住民は、町当局の熱意と根気に押され、遂に1954年(昭和29)3月1日庄東地区の第3次編入合併に合意した。
庄東4か村の合併を契機に、砺波町では市に昇格しようと、あらゆる機関を通し政府へ陳情を重ねたが、市成立条件の市街地形成が貧弱なため、なかなか許可されなかった。砺波地方は藩政時代から特殊な集落形態の散村地帯であることから、市街地は市全体の面積の0.6%に過ぎず、人口もわずか市総人口の17%しかないのであるが、特例をもって1954年(昭和29)4月1日に市制を許可された。ここに富山県下で8番目の市「新制田園都市・砺波市」が誕生し、初代市長に町村合併特例法により砺波町長の五島円右衛門が就任した。
その後は1955年(昭和30)1月に鷹栖村、1957年(昭和32)9月には若林村が編入合併した。もともと鷹栖村は1889年(明治22年)の市町村制実施以来西砺波郡に属し、藩政時代からの一村一集落の大村であった。しかも、西部の津沢町に近いところもあって、編入合併には難色を示したが、市と20か条にわたる覚書をかわし、第4次編入合併は円満解決を見た。一方、若林村は石動町と砺波市の中間にあり、西砺波郡でもあったことから、100年以上も続いた一村集落を分村合併することもできず、日夜編入問題で話し合いの場がもたれた。長い月日をかけての討論の結果、石動町側の若林と砺波市側の若林に村を二分し、狐島・下中の一部・西中の一部の3集落は砺波市側に第5次編入合併した。かくして砺波市誕生は、5年間の歳月をかけ、先祖代々の愛着をおぼえ育てはぐくんだ各村とも別れをつげ、悲劇的な論争事態もなく1957年(昭和32)9月を最後に現在の砺波市域が確定した。
砺波市の誕生後も、各村の村長を市役所の課長ポストに据えたり、各役場を〇〇出張所にするなど、17か町村の由緒と経歴を重んじながら市政はスタートした。市当局も軌道にのった1957年(昭和32)には各出張所を廃止、翌1958(昭和33)には新砺波市建設第1次計画の発表、1959年(昭和34)には砺波市議会議員大選挙区制の施行や市立鷹栖保育所の新築等、砺波市政の基盤である政治、経済、産業、建設の礎が着々と築かれていった。また、1924年(大正13)に設置された旧出町上水道の全面改修、拡張工事が進められ、さらに1964年(昭和39)には庄東地区の簡易水道が開通するなど、川水飲用の多かった散村地帯の飲料水問題も解決した。また、終戦直後の1946年((昭和21)新設の「出町厚生病院」も1962年(昭和37)には装いも新たに、3階建冷暖房完備の「砺波厚生病院」診療棟に建てかえられたり、陸上自衛隊第321施設隊も誘致された。市制10周年の1964年(昭和39)には記念事業として新市庁舎が竣工し、明日の住みよい砺波市をつくるため官民一丸となって市の発展に力を尽くした。
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