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かつて庄川は高瀬神社のそばを流れていたのか 2015.1.20
庄川が高瀬神社の近くを流れていたのは本当?

砺波郡古図

 正月にfacebookで「杉木新町町立願書」の記事を書いたところ、ある方からコメントをいただきました。その中で、「庄川がかつて高瀬を流れて小矢部川に合流していたとする従来からの説が現実的でない」とのご指摘をいただきました。


 たしかに砺波周辺では当たり前のように庄川の東遷説が語られ、そのなかで最初に語られるのが「庄川が高瀬神社の近くを流れていた」という話です。しかしご指摘も説得力があり、簡単に見過ごすわけにはいきません。


 そこで、改めて考えてみることにしました。

 その論拠をご紹介します。
 以下、コメントを転載します。

「庄川の歴史」・「庄川の流れは大きく変わった」のページに「昔は小牧村で曲がり高瀬村(井波)へ落ち合い、河崎村(福野)へ至り小矢部川へ入っていた。」とありますが、

佐伯安一氏は『近世砺波平野の開発と散村の展開』の中で地質学的に見て、それはあり得ないと反論されています。庄川が高瀬(荘園)を流れて旅川や山田川と一緒に小矢部川へ合流していたというのはロマンがありますが、現実性はないように思われます。

転載ここまで。
従来の説を佐伯氏の論文を引用して「ロマン」の一言で片づけられてしまいましたが、果たしてこの理解は正しいのでしょうか。ちなみにこの記事を書いている本人は従来説・反対説のどちらの立場でもありません。

地形や地質的に無理があるのか?

 まず、ある方が支持する佐伯安一氏の説をひも解いてみましょう。

 佐伯氏は前掲の著書の中で「現地の地形や地質(黒ボク)でみる限り、高瀬へまで流れたことは地質時代ならともかく考えられない。歴史時代へ入っての南限は野尻川とみてよい」と書いています。 佐伯氏にはめずらしく断定的な言い方です。

 現地の地形は本当に無理があるのでしょうか。

 そこで、地形を確かめるためにカシミール3Dを使って地形図を作成してみました。

 ※写真は小さいので、下記の添付ファイルをご覧ください。

 地形図の中から地名と等高線だけを抽出し、地形を立体的に表現してみました。ここでわかることは、等高線が金屋付近を頂点とする扇状地地形をきれいに描いていることです。しかし、西側では扇状地の等高線の曲がり方が西大谷川を境に変換しています。これは山田川の扇状地と庄川扇状地が重なる場所だということでしょう。いわゆる複合扇状地なのです。

 さて、
高瀬の位置はどうでしょうか。

 しっかりと庄川の扇状地上にあります。ということは庄川がかつて流れた場所という証拠です。また、当たり前の話ですが、水は高いところから低いところに流れます。その原理原則を適用すると、金屋では
105.9m、高瀬付近は85-90mほどですから、金屋から流れ出た場合、高瀬付近を流れることは理屈上可能です。庄川扇状地では1000年に1m堆積するという話もありますが、歴史時代の開始期であっても今と地形的な大差はないでしょう。

 以上のことから、高瀬流入説は地形的に無理はないことがわかります。

黒ボクはどうか?

 次に黒ボクをみてみます。

 ※写真は小さいので、下記の添付ファイルをご覧ください。

 あまり耳慣れない「黒ボク」を確認するには『土地分類基本調査 城端』(富山県1981)の表層地質図が役に立ちます。この写真の図の中でAmと書いてあるのが黒ボク土のことで、扇状地上に島状に点在しているのがわかります。そこで、肝心の高瀬を見ると、黒ボクがあまり存在していません。Am以外の水色の範囲は、基本的に河川の氾濫原と考えられますから、高瀬付近も河川が流れていても何らおかしくありません。

 以上の2点から佐伯氏が「考えられない」と断言した、高瀬流入説を否定する根拠がもろくも崩れ去ることがわかりました。佐伯氏は民俗学がご専門ですので、地質学・地理学的な検証はそこまで徹底していなかったのかも知れません。庄川の高瀬流入説はあながち間違いではなさそうな気配です。いや〜、ロマンがありますね〜。

 そもそも従来説の根拠は元禄年間に書かれた「加越能三ヶ国御絵図被仰付候覚書」という古文書。そこには「庄川往古は小牧村の屈曲より高瀬へ落合い、河崎村へ到り小矢部川へ入り、鷲ヶ島村の方へ流れ候の処、応永十三年丙戌六月大洪水にて野尻川へ入り、それより段々東へ決流れ、中村川又千保川へ落合候事」とあり、従来の説はこの記述をもとに語られていることがわかります。

 「小牧村の屈曲より高瀬へ」とありますが、小牧は峡谷の集落なので小牧からいきなり高瀬方面へ流れたのではなく、「屈曲より」とあるので河川が蛇行して平野部に開ける金屋や青島付近から高瀬方面へ流れたのだと理解するほうが自然です。

 今回の記述はここまでにします。

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