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12柳瀬(やなぜ)その2 2016.8.19
3. 東開発(ひがしかいほつ)

1 内島(うちじま)

  ・ミヤノセドノタ(宮の背戸の田) 古来より、村のお宮さんの背戸のうしろ側に田5畝歩あったが、ほ場整備により南北の農道ができたので2畝歩となる。
  ・フルヤシキ(古屋敷) 昔数軒の屋敷があり、庄川が流れ込んだために流されて人家は東開発、下中条の中に入り、その地名が残った。((新)216)


 2 東開発(ひがしかいほつ)

  ・ショウズダ(清水田) 周囲の田より段差があり、耕土が浅いので地下の水が湧いて出たため、この名ができたと聞いている。(197・198)
  ・シンビラキ(新開) 昔からの言い伝えでは、こつこつと開かれた田でなかろうか。(189)
  ・イサカイダ(いさかい田) 40〜50年前、地主と近くの田の主が大げんかしたといい、その頃よりいさかい田というようになったという。(216)
  ・マクノウチ(幕の内) 古くからある名で、般若郷のあとでもあったのか。東保・西保の真中にあり少し高い所があって、庄川が流れ込んでもそこだけが流れないで小さな田4枚が残っており、幕の中にあるということで幕の内という名が残ったとされている。(167〜170)((新)296〜297)
  ・シンミヤジマ(新宮島) 昔、古い宮の祠があった跡(庄川が氾濫したためか?)で、明治のころまでその地名が残っていた。(415)((新)254・255)
  ・カンナダ(かんな田) 雷の通り道でもあったのか。昔も今もよく雷が落ちたことがあったため、雷田が訛ってかんな田という地名が残っている。((新)219)
  ・ゴロベサヅクリ(五郎兵衛さ作り) 五郎兵衛という人の持田で、喜田弥一郎が明治時代に買い求める。昭和23年に引き継いで耕作する。(15・16・17)
  ・ハッツァブサマエ(八三郎さ前) 喜田新一前の田。(443)
  ・ヤキッツァノシタノタ(弥吉さの下の田) 中嶋正治宅の旧屋敷跡の田。(370)


 <中字>


 ・上開発(かみかいほつ)(集落)

   大字に詳述の通りであるが、柳瀬の多くの集落が20数戸であったので、県道坪野―小矢部線で便宜上、上開発・下開発と称して分割、各種役職等の振り分けを便にしたものであろう。

 ・下開発(しもかいほつ)(集落)
   上記上開発の項に記した通りと考えられる。

 ・やかん島(集落)
   新しい分家ばかりが堤防のすぐ下に軒を並べて建てられたところで、その中の何軒かの人の中で頭の禿げた人が多かったのと、短気な人が多かったことなどもあり、やかん島と呼ばれるようになったという。((新)163・172〜177・185・197〜201)

 ・ナカスジ(中筋)(集落)
   東開発の中心をなす一帯で、最初の分家などができた所であり、庄川の流れと関係が深く、本家を守る防流堤の役目も果たした所である。((新)71〜103)

 ・セドスジ(背戸筋)(集落)
   東開発の最初に開拓した人達が多く並んでおり、少々高台になる所である。従って、本家の人々が並んでいる所である。今では一番後(西側の列)になったので背戸筋といっている。((新)4〜53)

4. 庄中(しょうなか)

・ナカンラミヤ(中村宮) 庄中(村)は「ナカムラ」と呼称している。庄中鎮座の神明社を地元では中村宮と呼ぶ。鳥居のないお宮であるが、昔から鳥居を建てると庄川の氾濫によって流されるということで造らないという。昭和23年7月に、すぐ下流で破堤して庄川の本流が流れ込み美田が流された際に、昔流された鳥居が田の底から現われ、神明社に保存されている。


5. 下中条(しもなかじょう)

1 旧西領(きゅうにしりょう)

   大正9年、耕地整理により小字名廃止。

  ・イチバンワリ(一番割) 不詳。(249)
  ・サンバンワリ(三番割) 不詳。(186・187)
  ・ヤシキダ(屋敷田) 江畑儀平宅跡地。明治10年4月、東開発で堤防700間破壊、230間決壊した際流失したもの。(226)
  ・ヤシキダ(屋敷田) 布原俊弘の初代の住宅跡地。(179)
  ・ジイサマダ(祖父様田) 平岡義雄の祖父栄吉が荒地を開墾して田とした。(490)


 2 旧中川原(きゅうなかがわら)

   大正9年、耕地整理により小字名廃止。

  ・トイカケ(樋掛け) この田は隣接の田より高く灌漑が困難なため、樋を掛け他の用水より水を引いた。(251)
  ・ショウズダ(しょうず田) 付近一帯は庄川の伏流水が湧き出ていた。(473)
  ・カアラミヤヤシキダ(川原宮屋敷田) 神明社の境内地跡である。この付近一帯をそれぞれ耕作者は川原宮屋敷田と呼んでいた。(391)
  ・シジュウワリ(四十割) 不詳。(276〜279)
  ・ヨンバンワリ(四番割) 不詳。(304)
  ・ヒャクゴジュウワリ(150割) 不明。(298・309・303)
  ・ワタセ(渡瀬) 不詳。(377)
  ・ソウチ(総地) 下中条集落の所有地。(350〜390)
  ・ニヒャクワリ(200割) 不詳。(482〜483・354)
  ・ヒャクワリ(100割) 不詳。(346・347・482・502)
  ・ヒャクサンジュウワリ(130割) 不明。(484・485・479・480・501)
  ・ゴジュウワリ(50割) 不詳。(486・487)
  ・ゴンカケ(芥かけ) 芥(ごみ)かけ用水より水を引き、流水客土をした。庄川本流の増水の際客土出来るように堤防を繰り抜いた。(341・335)
  ・カゴバ(かご場) 度々の洪水のために、ここで護岸用の蛇籠の備蓄または蛇籠を組んだ場所。(320・321・329)
  ・ロクノワ(六の輪) 不詳。(499〜513)

 

【砺波市老人クラブ連合会発行「砺波市の地名−郷土の字・由来調査事業報告書」1993年より抜粋】

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