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川辺外治

川辺は、農家の次男に生まれ一時は画家を志すも、長兄の死により農業を継ぎ、その傍ら、美術教師として多くの画家を育てた。小学校六年の三学期を病欠し、卒業写真だけを撮りに登校した病弱な自分が兄姉四人のなかで唯一生き残って、好きな絵画の道に生きていられることが何よりも「果報者である」と述べている。そして、戦時中、近隣の町に疎開してきた版画家の棟方志功や織田一磨、伊藤四郎等の生活を支援する為、発表会や研修会などを企画、開催し彼らとの交流を深め、戦後は会派を超えた「彩彫会」の結成に尽力した。
 川辺は晩年より、作風ががらりと変わり抽象画へと変貌していった。「叫び・不安・苦しみ」がテーマの黒い太陽シリーズを確立して後に「人間疎外の美術、描くことそれ自体すら否定する美術、それで満足出来るならそれを実行するがよい。しかし大宇宙を信じ、その無限を見つめ片影を感受し、その表現に一生をささげる気概と意欲を燃やして生きることはなんと意義のあることであろうと夢想するものである。」と述べている。当時県内は中央に比べて具体的な情報や知識を得るには困難な面が多かったが、画業の研鑚をたゆまず積む作家であった。

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