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壇城跡

2014.4.14

南北朝争乱時の重要拠点

壇城

壇城

壇城跡(だんのじょうあと)

昭和62年3月30日・市指定
砺波市庄川町庄

 壇城は庄川右岸の雄神橋東詰の山中にあったもので、現在も「だん」と呼ばれる広い平坦地です。
 この平坦地は標高130m、現在は水田になっています。

 城跡は室町時代末から戦国時代のものと考えられ、現在も東側の山上には規模の小さい簡単な中世城館遺構(ちゅうせいじょうかんいこう)がいくつも確認でき、主郭(しゅかく)(城の中で建物を建てたり、軍勢を集めたりするために造られた広場)は西麓の「だん」と呼ばれる平坦面に遺存していたと思われます。

 昭和58年の試掘調査では、溝・柱穴(ちゅうけつ)・礎石(そせき)・石敷・石列などの遺構が確認され、遺物包含層(いぶつほうがんそう)からは炭化物が出土したことから、幾度か落城したと推測できます。

 この郭(くるわ)からは、南東方向に三条山を望むことができ、同山上には同じ南北朝時代の千代ヶ様城(ちよがためしじょう)がありました。距離的にはかなり離れていますが、壇城とは尾根伝いの連絡路があり、平常時の居館が壇城で、千代ヶ様城が緊急時に立てこもる詰城(つめじろ)であったと考えられます。

 城主は、国人を集めて挙兵した桃井直常が居城としていましたが、南北朝時代の応安2年(1369)に直常追討のため管領斯波義将の命で派遣された二宮次郎左衛門に攻められ落城したとされています。その後、永正7年(1510)には、長尾為景が上杉顕定を敗死させた後、ここに居住し、また、天正4年(1576)頃、石黒与三右衛門が居住の時、上杉謙信に攻められ退城したとされています。この両城は、共に庄川扇状地の扇頂部に位置する要衝であったことから、南北朝の争乱時には重要な役割を果たしていたと推測されます。

注)中世城館跡 鎌倉から戦国時代頃の戦いの施設

アクセス
砺波ICから車で20分