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隠尾館跡

2013.3.16

鉢伏山麓にたたずむ隠れ里の城

昭和62年3月30日・市指定
砺波市庄川町隠尾

 隠尾は庄川右岸、鉢伏山の麓の小村で、古くから鉢伏峠を越えて旧砺波郡と旧婦負郡を結ぶ間道の要衝であり、尾根伝いに五箇山、飛騨へも行くことができました。  隠尾館跡は村の中ほどの南端、東西21m、南北29mの台地にあり、北側を除く三方が崖で天然の要害となっており、館跡中央部に「啼石(なきいし)」があります。

 北側は現在葦原と宅地で、西側には一段低い平坦地が連なり、その南の崖際には土塁(どるい)が残っています。また、この土塁の裏側の小道を東へ約20m下った所に、籠城用の飲料水にしたという湧水があり、傍らの苔むした1mあまりの立石半面に「城清水」と刻まれています。

 永禄3年(1560)上杉謙信は軍を越中に進め椎名氏を援助し、神保氏の富山城を攻め、さらに増山城に逃れた神保氏を追撃し五箇山に敗走させました。この時戦いに巻き込まれ戦死したのが、隠尾城主南部源左衛門尉尚吉(直義)といわれています。

 南部氏が初め要害を構えていたと伝えられる鉢伏山は標高510mで、以前開墾された際、土饅頭(どまんじゅう)など無数の塚が発見されたといわれ、隠尾城館に対して、その「詰城(つめじろ)」であったのではないかと考えられています。

アクセス
砺波ICから車で30分