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舞句資料

2014.8.18

砺波に流行した文芸

水底庵龍石奉納額

水底庵龍石奉納額

平成23126登録

句碑(地蔵堂)・・・東石丸区長

奉納額(東石丸神社)

東石丸神社氏子総代

句集・版木 個人(東石丸)

舞句は俳諧前句付の一種である。
 前句の付け方が多様になり、また、季語や約束ごとから開放されてことばの機知を楽しむようになったので「舞句」と称して一文芸のジャンルとなった。選者が七七の後句を出題し、これに五七五の前句を付ける「冠付け」が主であるが、このほか、沓、中入れ、ちぎり、もじり、曰、五つ付け、回文などがある。                                         

 応募する人たちのグループとして砺波・射水地方の各地に座ができ、この地方では東石丸の喜楽会が中心となっている。これは幕末から明治初年に寺子屋の師匠をしていた東石丸の水底庵竜石(文政8年ー明治20年)に始まる。舞句の句集には文化13年(1816)、高岡の三木一貫が出した「狐の茶袋」があり、これを第1篇として続編が続き、この流れとして昭和49年に砺波喜楽会(選者;東石丸 古田吐峰)が出した第11篇がある。                             

 舞句の遺跡や資料としては、東石丸の地蔵堂にある竜石自刻の句碑(大正9年9月)、竜石編の俳書「藁綴」(安政5年刊)とその版木(自刻)、前句 奉納額(嘉永4年、東石丸神社)、奉納絵馬(東石丸神社ほか各地)などがある。   (参考:『砺波市先人遺墨画展二十年のあゆみ』)