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若林の中村埜神社

2016.3.10

【2016.03.10Facebook記事より】

中村埜神社

中村埜神社

若林の中村埜神社について取り上げたいと思います。
 神社の縁起によると、赤丸城の浅井左衛門助成の家臣である中村久助が神の神託があって、下中に神社を勧請したといいます。以来、中村埜神社は中村郷の総社として位置付けられてきました。

 もともと中村郷があり、それが分かれて下中・西中・東中・上中(狐島)になったという話は前号で触れました。ではそもそも中村郷は誰が拓いたのでしょう。

 時代は平安時代、源平の合戦のときにさかのぼります。中村郷には中村太郎忠直という人物がいたといいます。倶利伽羅峠の合戦で有名な木曽義仲は、養和元年(1181)6月、越後の城長茂の大軍を撃破。越中の豪族たちは義仲に協力したといいます。三州志という文書によると石黒太郎光弘、福満五郎、中村太郎忠直などが記されています。義仲は越中勢の協力もあって京に上りますが、粟津にて敗死してしまいます。

 その後、中村太郎は一族を連れて郷里に戻りました。中村埜神社を建立した中村久助は太郎の末裔なのかも知れません。