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砺波市の獅子舞一覧

2014.3.26

砺波市の獅子舞一覧

砺波市の獅子舞「砺波獅子」

砺波市の獅子舞「砺波獅子」

砺波市の獅子舞一覧を公開します。
砺波市には80箇所以上での集落で獅子舞が確認されていますが、現在約20箇所の集落では休止しています。ページ下の添付ファイルに、各集落で行われている獅子舞の祭礼日や場所、団体名等について記載しました。
ただし、これは平成25年11月現在のものであり、それ以降に休止もしくは復活する場合も考えられます。詳しくは各集落にお問い合わせください。


●砺波地方の獅子舞

百足獅子(ムカデジシ)で胴幕の中へ頭・尾を含めて5〜6人が入る。胴に竹の輪を入れるので胴が大きく見える。獅子あやしは小学生の子供2人1組で、シシトリという。もとはすべて男の子であったが、近年は女子が混ざることもある。シシトリが棒・長刀・太刀・鎖鎌などの武具を持って獅子に立ち向かうのは加賀獅子の影響であろうが、胴も一緒に舞う点が違う。砺波獅子は砺波地方の平野部から隣接する射水地方や婦負郡の一部に及んでいる。砺波地方でも南砺の城端や福光地方では、竹の輪を両端2人で持つ大獅子が分布する。これは加賀獅子の影響である。さらに福光の旧町部市街地には、胴部が動かず、胴から縄をつけて延びた頭だけが獅子取りとともに舞う金沢獅子の直径のものが入っている。

砺波獅子の演目の主なものは、サンパサ(サンバソウ)・サンピス・ボウ・ナギナタ・カマ(クサリガマ)・カタナ・ケン・ユミ・オオギ(センス)・テヌグイ・ニラミ・カサオドリ・カラカサ・キリコ・タイコノバイ・ササラ・ハケ・サイハイ・ノリジシ。これらは総じて「にらみ獅子」とよんでいる。

砺波市の獅子舞「氷見獅子」

砺波市の獅子舞「氷見獅子」

氷見獅子も少数であるが存在する。
演目は、ヒトアシ・フタアシ・バンガヤシ・キョウブリ・ヤツブシ・ギオンブリ・ヨシサキ・イソブリ・シシコロシなどで、砺波獅子でもこれが混ざっていれば氷見獅子の影響を受けたものとすることができる。
また、採り物のハケや色紙の弊のついた剣なども氷見獅子からの影響であろう。これらはさきの「にらみ獅子」に対して「踊り獅子」とよんでいる。

砺波獅子とは異なり、胴には竹の輪を入れず手を挙げて張るのが特徴。獅子の相手には長い毛のジャグマ(毛冠)を被った青年も登場する。

一般的に、氷見獅子のリズムは「♪トンチキ トンチキ トンチキ トン♪」という四拍子。曲のテンポは砺波獅子のものより早い。

砺波市の獅子舞「金蔵獅子(ねんごろ獅子)」

砺波市の獅子舞「金蔵獅子(ねんごろ獅子)」

金蔵獅子も砺波地方には入ってきている。2人立ちの小さい獅子である。これをネンゴロ獅子というのは「婦負郡獅子」(ねいごおりじし)の訛りで、婦負郡の八尾山地から伝播したことを示している。一頭型で、演目にはカグラジシ・キンゾウ・ヘビジシ・キョクジシ・オバコ・タケツギなどがあって、金蔵獅子の全種目を伝えている。

獅子方は、たとえば輪が4本入っている砺波獅子は、輪を持つ4人と獅子頭を持つ者と尾を持つ者の6人構成となるが、予備を含めて10人くらい。シシトリが2人または4人。はやし方は笛が5人くらいに太鼓が2人。それに祝儀を受ける会長役である。
練習は祭りの1ヵ月前ほど前から毎晩宮などで行われる。途中にナカイレ、前日はケイコアゲといって一杯飲む。
祭礼当日は宿(会長宅・決まった家・集会場など)を出て宮へ参り、神主からお祓いを受けて頭にご弊をつけてもらう。宮で全種目を一通り舞ったあと、氏子の各家をまわる。各家では広間から座敷の前を開け放ち、主人が広間で待ち受ける。獅子は前庭で一回し舞ってから当家や来客からハナ(祝儀)を受け、あと二回しほどして次の家へ向かう。めでたいことがあると小休止して酒などが振舞われる。獅子の回り順は決まっている。近年は全戸を回らなくなったところも多い。
獅子頭は昔から井波で作られたものが多い。桐製で重さは普通6kg前後であるが、村が大きいと獅子頭も大きくなる傾向がある。たとえば、鷹栖地区焼馬の獅子は20kg以上もあり、「鷹栖の五斗獅子」といって五斗俵をさし上げることができる者でないと振れないという。
(『砺波市史』民俗社寺編より)