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大伴家持が庄川で歌を詠んだよ!

2013.3.28

雄神河 くれなゐにおう をとめらし 葦附とると瀬にたたすらし

なんと、すばらしい光景じゃ 良い句が浮かんできたぞよ

なんと、すばらしい光景じゃ 良い句が浮かんできたぞよ

越中国司であった大伴家持が、天平20 年(748)、春の出挙で砺波地方へ来たときに、 通りかかった雄神川の川辺にて、清らかな川面に映える赤い裳裾の乙女たちの姿に思わず 心に浮かびあがったことを和歌にとどめました。

西方面に流れ、小矢部川と合流してい たと言われていました。
雄神の庄から小矢部川の合流点までを 雄神川(河)合流点から下流を射水川 と呼んでいたそうです。まだ庄川の流 れは現在の流れではありませんでした。 天正13年(1585)の地震で庄川 が中田方面に流れるようになりました。 当時の砺波平野は洪水のたびに流れが 変わり、湿地帯があったり、渦巻く急 流があったり、草木の茂る緑豊かな所 もあったりと自然そのままの川氾濫原 野が広がっていました。

現代の言葉にするとこんな感じかな
現代の言葉にするとこんな感じかな

現代の言葉にするとこんな感じかな

見渡すと雄神川では赤い裳裾の色が水に移り、紅の色が美しく映えている。あれは少女らが葦附を採るのに川の瀬に下り立っているらしい

雄神河

雄神河

むかしはもっと水がきれいだったのかな

葦附(アシツキ)ってなにかしら?

葦附(アシツキ)ってなにかしら?

アシツキは、川の浅瀬に浮遊するプヨっとした寒天質の藻のことです。 現在では天然記念物となっています。 アシツキは古来から食べられてきました。