天正の大地震が起こる。
2013.3.27
天正の大地震で庄川の流れが!
のちの人にも伝えていかにゃならん
天正13年11月29日(陽暦1月18日・1585年)に大地震が発生し ました。震源地は庄川上流の白山下(岐阜県白川村)で、その被害は全川にわ たりました。
夜中に起こったこの地震で所々の山が崩れ、谷が埋まり、震動は12日間も 続きました。
金屋岩黒山の東の山が蛇島(現在の赤岩)へ崩れ、庄川をせき止めました。 そのため、川が氾濫して対岸にあった山城である壇の城から西に続いていた山 を突破して、今の庄川の流れができました。切り離された西の端の大岩が水中 に残り島となったので、ここに弁財天を祭って水神とし、弁才天島と呼ぶよう になりました。
この山崩れで、庄川が20日間もせきとめられ、付近の住民は川原で鮭・鮎 などを捕らえ、金沢や高岡へ売りに行ったものもいたそうです。中には、川が 決壊することを恐れて、井波、増山、守山などへ避難したものもいたが、大半 は仮小屋を建てて住み、ちょうど冬にさしかかった時期で、大変なものでした。
やがてこの水は自然と二つにわかれて流れたので、水の勢いが緩んで大洪水 にはなりませんでした。この時に、東に流れたのが庄川であり、西に流れたの が中村川・千保川です。壇ノ城の山続きに鎮座していた雄神神社はこの時流さ れ、神体は水宮村(砺波市)へ押し上げられました。
上流の飛騨の白川では300戸の家屋が人馬ともに土中に埋まり、生き残っ たものがなかったと伝えられています。また、当時この地方に威を張っていた 内島氏の帰雲城(白川村)が崩壊し、当主一族が全滅しました。今も白川右岸 に山腹が裂け分かれて赤色の山肌をむき出しにした箇所があり、当時の悲惨な 状況を物語っている。砺波地方でも木舟城が陥没して、城主前田秀継が圧死し ました。
庄川の民話や、富山県立図書館収蔵の資料にも記されています
この地震のすさまじさは、 語り継がれ、庄川の民話に残っています。また、富山県立図書館収蔵の資料にも記されています。