庄川の流送について(その1)
2013.3.28
流送の仕事に出発
貯木場と金毘羅さん
青島貯木場には金毘羅さんが祭られていました。
8月20日 お祭りが行われ、安全祈願をした流送夫たちは庄川上流の山奥をめざして出発しました。
作業場までのコース
彼等は、煎餅布団に流送用の鳶口などの道具を背に城端から峠を越え、
一日目は西赤尾(五箇山上平)
二日目は鳩ヶ谷(飛騨白川)
三日目は平瀬(飛騨白川)
四日目には中野(飛騨荘川)に到着というのが一般的なコースでした。
彼等は組頭(庄屋)の手配で、1つのチーム(20人〜30人程度)に加わり、 仕事を終えるまで共同作業、共同生活をしました。
彼等は樵が伐採し造材した木材を山林から運び出し、庄川の流れに乗せ、下流の青島貯木場に運ぶ仕事をしていたのです。
1チームの請け負う本数は8千本〜1万本でした。
彼等がその木材とともに青島貯木場に帰ってくるのは、通常は1月下旬ぐらいでした。
その間(約5カ月間)木材運送にかかわる全ての問題は自分たちの技能と技術で問題を解決していたのです。
山出し(伐採された木材を山林から川の縁まで運ぶ)
山出しの様子
流送夫が到着した現場には、樵たちによって伐採・造材された木材が山林のあちこちに横たわっていました。
彼等はそれらの木材を山林から出して、川べりまで運び出す仕事にとりかかりました。
この仕事を「山出し」と呼んでいました。
木馬道(きんまみち)
凹凸の激しい山中での木材の運び出しには、木製のレール状の道(木馬道)を造り、 その上を「木材を積んだ橇」を滑らせながら運び出す方法をとりました。
請け負った8千本〜1万本の木材を川べりに集めるのに約2カ月もかかったようです。