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庄川に小牧ダムができる。流木事件が起きる。(その1)

2013.3.28

激突そして流血事件に

庄川を訪れた浅野総一郎(右)

庄川を訪れた浅野総一郎(右)

1913(大正2)年庄川を訪れた浅野総一郎は、豊かな水量と流れを見て 「おお、黄金が流れる。黄金が流れている。」と叫びダム式発電所の計画を立てます。

 1916(大正5)年には庄川の水利権使用を県に申請し、翌年には実地測量を行いました。
 庄川沿岸住民は巨大なダム構想に大きな驚きと不安を抱きます。
 当時の東砺波郡長高松覚太郎は、郡内の町村長や農民を伴い県に陳情し、
@この巨大なダムが一朝にして崩壊したら庄川沿岸住民の生命や財産はどうなるのか
A庄川には以前から毎年10万本に近い流木があるがこれはどうなるのか
B庄川には鮭・鱒・鮎などの漁獲はあるがこれはどうなるのか
Cダム築造後は砂利・玉石などの流下がなくなり、現在の用水取入れ口は川床低下のため、 今より一層用水の取入れ口が困難になると思うがこの点はどうなるのか
と善処するよう訴えました。

 1919(大正8)年には電源開発への水利権使用が認可されました。

庄川流木事件の始まり
堰堤反対大演説会(庄川沿岸民連合会)

堰堤反対大演説会(庄川沿岸民連合会)

1926(大正15)年、知事は小牧ダムに取付ける「流木用・魚道用」の設計を認め、ダム工事を正式に許可しました。

当時の加越線青島町駅構内

当時の加越線青島町駅構内

建設工事開始を目にした沿岸住民たちの不安は一層高まり、 3月には青島地区木工業者の陳情が9月には庄川沿岸漁民もダム反対陳情を行いました。
 ところで、5月には大手木材業者の飛州木材は陳情ではなく、県知事を相手に「発電工事認可取消し」の訴訟を起こし、 11月には青島町駅構内にある加越線と庄電軌道(ダム工事専用)の接続用ポイントを切断しました。

「流木権が無視」されていると思う木材側と、「流木権は許可制だ・ダムに取付ける流木用の運送設備で解決を」 と考えている県側は、以後8年間も裁判で争うこととなり、激しい訴訟合戦と実力行使で対立が深まりました 。

世論の動向は木材側から電力側に
靖国神社前で記念撮影する木材側東京

靖国神社前で記念撮影する木材側東京

1929(昭和4)年、木材側は東京陳情団を内務省に送込み、電力側の流木運送設備工事の阻止に成功し意気揚々と帰ってきました。

 しかし世論は少しずつ電力側に傾いていました。
@この年庄川は大干ばつに見舞われ、農民たちは「木材側が工事の邪魔をしていなかったら」 もうダムは完成しており、ダムから水を分けてもらえたのにと・・・
A県の産業界では県の発展にはこれからは電力が必要だと・・・
Bなんと飛州木材内部に電力側と妥協して地域の繁栄を共に図るべき・・・
という人々が増えてきたのです。

 しかも、1930(昭和5)年には岐阜県側に自動車道路建設計画が発表され、つづいて小牧ダムが湛水を認められました。

  • 小牧ダムに湛水がはじまる