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D富山県花卉球根農業協同組合の誕生

2014.5.8

富山県花卉球根農業協同組合の誕生

農林省委託球根原種圃場

農林省委託球根原種圃場

 昭和22年12月15日農業協同組合法が施行され、経済行為を行う農業団体はすべて農業協同組合を設立することとなった。それに基づいて昭和23年12月6日、事業内容をすべて球根教会から引き継いで富山県花卉球根農業協同組合が誕生した。




富山県花卉球根農業協同組合発足当時の状況
 役員 組合長理事 四谷順三
     理事     瀬尾正雄 水野豊造 出村一郎
             高橋善治 池田克己 清都政次
     監事     石田甚三 平木三郎 城宝幸三郎
 組合員 261名(内正組合員21名)
 栽培面積 541アール
注:正会員とは栽培者の内10アール以上の栽培面積を持つもの。10アール未満は準組合員。


 組合設立当時の事務所は、出町園芸分場に机一つを借りただけのものであったが、昭和26年からは乾燥貯蔵庫、事務所、球根集荷場等の建物が次々と建設され、それとともに組合の事業内容も充実してきた。すなわち球根協会時代からの自主統制の原則を組合員の理解と協力によって押し進めたのである。

 昭和26年には、初めてチューリップフェアが開催され(翌27年を第一回とする)、昭和29年にはチューリップが富山県花に選定されるなど、広く県民の花となり始めた。
昭和35年、球根組合の職員水野嘉孝が初めてアメリカ・カナダの市場調査をし、翌38年には商社の手を経ない直接輸出に踏み切った。昭和42年には生産者団体として初めて日本農産物輸出組合の加入を認められ、完全な輸出業者としての資格を得た。これにより生産者自身が生産から販売輸出までを一貫した計画に基づいて遂行する、かつて前例のない流通機構が確立したのである。

輸出から国内販売へ
富山県内のチューリップ球根出荷数と輸出数の推移

富山県内のチューリップ球根出荷数と輸出数の推移

 輸出は昭和23年に10万球を輸出して以来、順調にその量を増加し、昭和39年には約2,000万球に達した。

 栽培者数・栽培面積ともに順調に伸び続け、昭和35年には組合員1,606名、栽培面積は123ヘクタールに達した。そして昭和44年には4,000万球を超える出荷量を記録し、名実ともに日本一の産地となった。

 しかしその後、高度経済成長による国民の生活水準の向上に伴う花卉球根消費の増大と国内販売価格の大幅な上昇、輸出先アメリカでのオランダ産並びにアメリカ国内産との価格面での激しい競合、加えて48年のドルショック以来の円切り上げで一層不利な立場に立たされた。昭和48年度総出荷球数4,480万球の内、輸出は910万球で、その割合は約20パーセントとなった。以後も徐々にその割合をへらしていながらも、新潟などの他県が輸出から手をひいた昭和53年以降も10年間あまりは輸出を維持してきた。しかしながら平成3年以降は出荷球全部を国内販売している。

小型機の開発と普及

 昭和36年に初めてオランダから球根選別機を輸入したが、富山県の実状にはあいにくく、輸入機械を参考にして業者が小型化し、県内および国内の各生産地にも普及をはかった。さらに昭和38年には大手農機具メーカーによって開発がすすめられてきた球根植え付け用覆土機も完成し、40年頃には球根掘り取り機も実用化された。ここに、それまではすべてが手作業であった栽培法から小型機械による一貫した栽培体制となった。

 またこのような大手メーカーとは全く別に生産者自らが作業の合理化を求めて機会を作り始めている。もともとチューリップ栽培に必要な農具は栽培者一人一人がそれぞれ自分に都合がよいように考えて作り上げてきたものばかりであった。しかしそれはあくまでも手作業をするための農具であった。ところがこのころからは便利な機械が発明されている。砺波市大門の石田隆起や北高木の藤崎祐一が水洗機などを考案し、他の栽培者にも利用された。また栽培者ではないものの、早くから採算を度外視して球根栽培者のためにより便利な機会を発明し続けてきた入善町小慴戸の鉄工業者小林定道の努力は特に顕著である。

経営規模の拡大と生産者の減少
球根乾燥調整プラント施設

球根乾燥調整プラント施設

 このような乾燥機・選別機・堀取機などの機械の導入や乾燥場の建設に多額の資本が必要になり、小規模栽培農家は生産をやめ、専業農家に栽培が集中し、一戸当たりの経営規模は拡大している。

 昭和45年からの米の生産調整が行われると、チューリップは転作作物に指定され、転作田で栽培されるようになり、水田裏作としての球根栽培は姿を消した。

 近年、チューリップ球根の国内需要が増え、増産が望まれている。しかし、生産者の高齢化が進むなかで技術を有する後継者が不足している。これらの対策や生産コストの低減をめざして、新規の希望者でも比較的容易にチューリップ栽培を始めることができるように、平成7年、球根組合に隣接して、堀取後の水洗・消毒・調整・乾燥・冷蔵などの作業工程を一貫して行う球根乾燥調整プラントが設置された。