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A組合の結成

2014.5.27

他素麺の移入

  素麺の製造、販売はすべて個人的の事業でしたが、明治37、8年以後世運の進歩に伴い播州その他各地より切素麺がおびただしく地方に移入されたため、大門素麺は圧倒させられその需要は年々減少しました。ここにおいて製造家は移入麺に対抗するため粗製品を安価で販売した結果、販路に信用を失い損失を招き廃業するものもありました。これに伴い、製粉業もまた衰微し村内の経済に影響を与え憂慮に堪えないものでした。そこで麺業の改良発展を企図し、明治44年11月22日無限責任大門信用購買販売利用組合の設立許可を得て村内全戸を含めて組合を設立しました。組合では、資金の融通、原料の購入、製品の販売、麦の製粉に至るまで世話をすることになりました。


【庄下村誌編纂委員会『庄下村史誌』より抜粋】