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7−2庄川改修工事

2015.1.30

霞堤(かすみてい)

明治時代の庄川の霞堤

明治時代の庄川の霞堤

 堤防を連続させず、ところどころ切れ目を作り、あるところは二重や三重に重なるところを作っておく堤防のことである。大水が出て、内側の堤防が切れ、水があふれ出たりしても、外側の堤防でその流れを防ぎ、水流を再び川の流れへもどしたり、堤防間に一時的に水をたくわえておくことができるしくみである。

上の図は明治末年の庄川流域の地形図であるが、江戸時代の霞堤の様子がよくわかる。圃場整備以前には、まだかなりの所でこの霞堤が見られた。  

川倉(鳥足)(『庄川町史 上』)
川倉(鳥足)

川倉(鳥足)

三本の丸太を三角錐形に組み合わせて作ったもの。中に石を入れて重しとし、上流に向けて川の中に設置する。急を要するときや流れのゆるいところに利用された。個数を丸太でつなぎ、その間にムシロを張り水を止める。

ヒジリ(聖牛)(『庄川町史 上』)
ヒジリ(聖牛)

ヒジリ(聖牛)

川倉(鳥足)より規模の大きなもので、やはり上流に向けて設置する。いくつもつないで、中に蛇籠を入れて重しとし、川の流れをせき止めたり、方向を変えたりする。

蛇籠(『富山工事事務所60年史』)
蛇籠

蛇籠

丸く、細長く編んだ竹籠の中へ石を入れたもの。川岸や堤防が水の勢いでけずられるのを防いだり、川倉や聖牛の重しとして利用された。



【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋

  • 千保柳瀬口用水の取入風景 昭和初年 太田公民館蔵