水野 豊造
2017.4.25
チューリップの父
水野 豊造
明治31年〜昭和43年
(1898〜1968)
出生地: 現 砺波市矢木
明治31年7月16日、富山県東砺波郡庄下村矢木(現:砺波市矢木)に小作農家の長男として生まれました。大正7年、農閑期に豊造が前年に植えた10球のチューリップが美しく咲いたことから、砺波でのチューリップ栽培の歴史が始まります(大正7年に植えて、翌年咲いたという説もある)。その後、出荷直前のチューリップ畑が荒らされ、枯れた後に掘り起こした球根が大きくなっていることに気づいた豊造は、水田裏作としてのチューリップ栽培を思いつきました。
チューリップ球根の栽培、販売、輸出とすべての礎を築き、昭和30年、農事功労者として黄綬褒章を授章しました。昭和43年逝去、享年69歳。生前の功労により従六位勲五等瑞宝章が授与されました。
チューリップストーリー@ チューリップ球根10球の試み
チューリップ畑で
砺波地方は、冬に雪が降り積もり、寒冷で水稲単作にしか向かない土地でした。冬場の農閑期に適した何か良い裏作がないものかと豊造は試行錯誤を繰り返していました。
大正6年、豊造は農閑期の畑に植える野菜や花の種のカタログを見ていました。その中にチューリップという花を見つけ、試しに10球購入し、田んぼの隅に植えました。
翌春、真っ赤なチューリップがみごとに咲き、それを切花観賞用として、町の市場へ売りに行きました。珍しい花に、1本5銭という高値がつきました。10本で50銭、あまりの高値に父親も豊造もびっくりしました。
白米一升が50銭という時代です。
豊造20歳のことでした。
チューリップストーリーA 苦労と挑戦を重ねて
チューリップ畑の豊造(晩年)
豊造がチューリップ栽培を試みてから数年後、だいじなチューリップ畑が誰かに荒らされました。咲いた花は根元や首から折られ、無残な状態を目にした豊造は悔しい思いでいっぱいでした。
しばらくして、チューリップの葉が枯れたので掘り起こしてみると、みごとな球根が出てきました。花にかける栄養分が、花が折られたことによって、球根にとどまり、ひとまわり大きくなったのです。
立派な球根を見て、豊造は決心しました。
- 水田の裏作として本格的に
チューリップ球根を栽培しよう -
大正12年、豊造25歳のことでした。
ゆかりの場所
富山県花卉球根農業協同組合
砺波市大門381
富山県産のチューリップ球根を販売する組合です。敷地内には水野豊造氏の銅像があります。
砺波チューリップ公園
砺波市花園町1-32
春には毎年恒例のチューリップフェアが開催されます。水野豊造氏がチューリップ栽培を始めたことにより、砺波のチューリップは日本はもとより世界中に知られるようになりました。
<参考文献>
『となみのチューリップを育てた人びと』
砺波郷土資料館・砺波市文化協会発行
『チューリップさいた』 伊藤真智子著
『万華鏡 第29号 チューリップ』
ふるさと開発研究所発行
『チューリップのはなし』
富山県立農業試験場出町園芸分場