石埼 謙
2013.4.4
石川県からの分県に貢献
石埼 謙
天保13年〜明治36年
(1842〜1903)
出生地: 現 砺波市小島
天保13年8月20日、砺波郡小島村(現:砺波市小島)の代々村役人の家に生まれました。幼い頃に金沢で漢学を学び、さらに京都で儒学者について漢学を深め、また医学も修めました。
幕末から明治初期の砺波の所属は複雑で、明治4年の廃藩置県により、江戸期の加賀藩越中国砺波郡から金沢県砺波郡に属することになりました。しかし、県域や県名はしばしば変更され、数ヵ月後には金沢県から切り離され新川県へ、そして明治9年には石川県に属することになりました。この当時の石川県の県域は現在の石川県・富山県の全域と福井県の一部を合わせたとても大きいものでした。なので、何をするにも時間が掛かり、不便・不都合なことが多くありました。
当時司法省の属官をしていた謙は、明治14年、石川県から分かれて新たに富山県を設立するための「分県設立建白書」を元老院に提出しました。これを機に他の有志たちも分県の建白書を提出、明治16年、石川県から分立して富山県が誕生しました。
その後は金沢での加賀藩史の編纂に携わったのち、故郷小島に戻り、地域の教育向上に尽力しました。
明治36年1月3日に大阪で病にかかり逝去。
ゆかりの場所
砺波市小島の石崎謙翁碑
石埼謙翁碑
砺波市小島131 小島神社境内
→分県運動や郷土の教育に尽力した功績を称えて顕彰碑が建てられている
<参考文献>
『砺波市に映える人びと』
砺波市教育会
『砺波市史 資料編3近現代』
砺波市史編纂委員会編
『富山大百科事典 上』
北日本新聞社発行