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片岡 清一

2013.4.4

清廉潔白な政治を目指した

片岡 清一

片岡 清一

明治44年〜平成11年
(1911〜1999)
出生地: 現 砺波市苗加

明治44年7月23日、砺波郡苗加村(現:砺波市苗加)の農家の9人兄弟姉妹の末っ子(五男)として生まれました。家が貧しかったため、尋常小学校後の進学は難しかったのですが、周囲の方々の援助により砺波中学、金沢の第四高等学校、東京帝国大学と進学しました。 卒業後、内務省へ入省し、日本各地を歴任された後、昭和41年、砺波市長に就任されます。その頃の砺波市は、車社会へ移行している途中で、未整備の道路や交通ルールが周知されていないことによって交通事故が多発しました。市民の安全を守るため、片岡自ら子どものための交通安全活動に参加し、交通ルールを広めることに尽力しました。 昭和47年には衆議院議員として国政に参加、平成2年までのおよそ17年間、当選6回、第二次竹下内閣の時には郵政大臣を務めました。平成元年に勲一等瑞宝章を受章。平成6年には砺波市初の名誉市民として称号を贈られました。 努力を怠らず、信念のもとにわき目もふらず行動する姿を「バカ正直」と言われようとも、「至誠天に通ず」「一日生涯」を信条として、清廉潔白な政治を貫きました。 平成11年2月26日逝去。

ゆかりの場所
『片岡清一先生像』

『片岡清一先生像』

片岡清一の銅像 『片岡清一先生像』
 砺波市花園町1−32 砺波市文化協会 
 →銅の胸像が建てられています。台座の書は元内閣総理大臣の中曽根康弘氏によるもの

ゆかりの言葉
「至誠天に通ず」(しせい てんに つうず)
→「まごころ、誠実さをもって事に当たればいつかは認められる」
「一日生涯」(いちにち しょうがい)
→片岡清一は著書の中で「その日一日を自分の生涯と思って努力すると運は自ら開けてくる」と述べている

<参考文献>

『嘘のない清潔な政治を志した 片岡清一展』        砺波郷土資料館発行