大門素麺

  • 2014.5.27
    H能登の素麺
     大門村へ素麺の製法を教えてくれた能登高松地方の素麺の生産は、その後どのようになったのでしょうか。 大門素麺の沿革を知るとともに、その沿革も知りたいものであることは、素麺の生産者は勿論他の人も興味深いことです。幸いこのたび佐伯安一氏が資料を提供して下さったので、これを記して後世に…
  • 2014.5.27
    G大門素麺の復興
     戦後食料不足と諸原料の入手困難等で素麺の生産は年々少なくなり、昭和二十五年以降は年産千俵を割るまでに至りました。しかしわが国の経済復興に伴って、国民の経済も豊かになり、食生活もだんだんと贅沢になってきて価格よりも食味のよいものを求めるようになって来た。 そこで郷土色豊かな手製で…
  • 2014.5.27
    F素麺組合の組合員
    (ロ)最盛期の組合員(素麺生産者)土田多計 十田和三郎 末永市平 末永次作 高田金蔵 黒田権次 松田庄平松田清兵衛 境嘉四郎 境一恭 武部外次郎 金岡末考 吉田みわ子 田村秀吉武部八平 土田実 土木豊太郎 境助ノ丞 中島長三郎 末永長吉 末永徳蔵島田年信 川田定吉 島田和平 石田…
  • 2014.5.27
    E素麺組合の発展
    (イ)組合組織の拡張  明治四十四年組合を設立して以来十有余年間、一意専心大門素麺の改良に尽力したる結果、需要者の信用を得、素麺の需要は年々増加し、到底組合員の産額にては大門素麺の需要を充たすこと能わざるに至れり。 よってますます組合員に素麺の製造を奨励すると同時に、区域を拡張し…
  • 2014.5.27
    D製品改良の方法
    第一条 本規程は本村特殊の物産素麺に検査を施行し、該品の改良統一を計り租製濫造を防遏し専ら需要者の信用を保持するをもって目的とす。第二条 検査は生産検査、販売検査の二種とす。第三条 検査員は庄下村農会技手および組合員中素麺製造の経験ある人に嘱託す。第四条 検査員は組合長これを嘱託…
  • 2014.5.27
    C大門素麺の特長と生産高
    原料を精選せるがゆえに麺粉に雑滓物を混淆せず滋養に富み衛生に適す。四季の中最も大気、水流の精良なる冬季において手延製をなすがゆえに製品に変質なく貯蔵に耐う。大門素麺は厳正なる調査の執行により製品の統一をなし等級を標示するがゆえに需要者の購入に便益なり。大門素麺のボール箱入は文化的…
  • 2014.5.27
    B素麺の改良と発展
    大正2年本県において一府八県連合共進会に、大門素麺を出品するのを機会として、素麺の改良を計画し組合素麺と名付けて、その改良と宣伝に努め、実績を挙げるようになりました。 当時の事業概要の報告はその状況をつぎのように記しています。1、改良したる素麺は組合素麺と称すること。2、組合素麺…
  • 2014.5.27
    A組合の結成
      素麺の製造、販売はすべて個人的の事業でしたが、明治37、8年以後世運の進歩に伴い播州その他各地より切素麺がおびただしく地方に移入されたため、大門素麺は圧倒させられその需要は年々減少しました。ここにおいて製造家は移入麺に対抗するため粗製品を安価で販売…
  • 2014.5.27
    @大門素麺の成り立ち
    大門素麺は嘉永の初年(1848)今から約170年前、能登国高松(現在の石川県かほく市)の住人丸山伊助氏を大門の郷に招いて製造の伝授を受け、大門村中島与市、中島次平、中島松三郎、田守三右衛門の四氏が製造したのが始まりです。そのころは、能登国蛸島素麺の名で販売されていたようです。中村…
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