流送に生きた人々

  • 伐採
    2015.2.5
    5近現代 庄川の流送(その2)
    地元の樵(きこり)杣夫(そまふ)が木を伐採、造材する 環(かん) ・・・切り倒した木材に打ち込み、縄をかけて地引きして運ぶ
  • 流送夫
    2015.2.5
    5近現代 庄川の流送(その1)
     庄川流送の手順や方法などがわかるようなくわしい記録はありません。 流送のしかたや手順呼び方などは時代や地域によって違いますが、大正期に書かれた『青島村郷土史』や『青島貯木場沿革誌』、昭和50年に刊行された『庄川町史』に記載されている古老からの聞き取りなどを参考に、大正から昭和初…
  • 文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳
    2015.2.5
    4近代 一大集散地 青島貯木場(その3)
     近世、御用木を伐採・造材する際、切り落とした枝や雑木が生じました。白川の村々ではこれらを庶民が毎日使用する薪にして金屋で販売することを考え、高山代官所に願い出ました。販売することが認められると、金屋に薪木呂販売業が出来ました。 薪用の木材は長さ3尺〜6尺(90cm〜180cm)…
  • 青島貯木場と繋がった当時の鉄道
    2015.2.5
    4近代 一大集散地 青島貯木場(その2)
    近世の木材運搬方法は、砺波平野を流れる農閑期(冬場)の用水を利用して、伏木や今石動などを経て大坂、江戸、金沢などに運ばれました。明治になると、材木を買い付けた業者が自家用車の荷馬車で貯木場から砺波地方・高岡・富山など、それぞれの工場へ運搬していました。大正4年7月21日、砺波鉄道…
  • 青島貯木場中心部
    2015.2.5
    4近代 一大集散地 青島貯木場(その1)
    庄川の急流を抜けて平野部に辿り着いた木材は本流から分かれ、用水路を通って溜められました。このような一時的に材木などを溜めておく場所を土場(どば)または渡場(どば)と呼びました。また、江戸後期より庶民が使用する雑木、薪・木呂(ころ)も川下げ、陸揚げ・集積した場所を木呂留場(ころとめ…
  • 金屋・中野・戸出の各御囲場位置図
    2015.2.5
    3近世 御囲場−金屋・中野・戸出−(その2)
  • 2015.2.5
    3近世 御囲場−金屋・中野・戸出−(その1)
    藩の用材を一時的に保管した御囲場(おかこいば)えどじだいのはじめごろは城下町の建設や道橋の普請などのために多くの木材を必要としました。そのため、庄川上流の五ヶ山や飛騨から良材を伐り出して、庄川(当時の主流は千保川)に流して運びました。藩では、金屋と中野・戸出に、流した木材を一時的…
  • 材木川下舟場仮橋之図
    2015.2.5
    2近世 絵図にみる流送ー『運材図会』を例にしてー(その2)
    材木川下舟場仮橋之図材木を留綱(とめづな)よりくり出し畢(おわ)るまでは船橋 かよは(わ)ざれば材も(っ)て かりに橋を架けて往来をする也◆意味材木を留綱から 繰り出し終わるまでは渡し船が通えないので留め綱に木材でもって 仮に橋を架けて 往来をする※留綱(とめづな)とは川下げした…
  • 『運材図会』大正6年刊(岐阜県図書館蔵)
    2015.2.5
    2近世 絵図にみる流送−『運材図会』を例にして−(その1)
    江戸時代の飛騨の川下げを描いた『運材図会』『運材図会』は天領飛騨の南方山から伐り出した御用木を川を利用して運搬する様子を書いた図会(図や絵を集めた書)です。この図会は、高山の地役人富田礼彦(とみたいやひこ)と高山の絵師松村梅宰(まつむらばいさい)によってつくられました。富田は完全…
  • 二十四輩順拝図絵
    2015.2.5
    1近世 飛騨の木材が庄川で運ばれる(その3)
     天明8(1788)年1月30日、京都東本願寺が火災に合い、御堂と阿弥陀堂ともに焼失しました。 江戸幕府は、その再建に寄進するため、寛政3(1791)年に飛騨の北方白川山から槻・桂・栗などの木材を伐り出しました。庄川を川下げし、金屋の御囲場に集められ、さらに筏で伏木まで運ばれまし…