『佐藤助九郎展』

  • 個人蔵
    2015.1.30
    6−2常願寺川大改修工事
    佐藤助九郎から県知事宛、請負契約書(控)明治25年7月20日
  • 常願寺川改修工事 明治25年
    2015.1.30
    6−1常願寺川大改修工事
     常願寺川安政5年(1858)の鳶山一帯の大崩落後、河床が急激に上昇し、大雨のたびに洪水をひき起こしていた。なかでも明治24年(1891)7月の出水によって悲惨さは極に達した。それに対処するため、県では内務省雇技師オランダ人ヨハネス・デ・レイケの指導に基づいて改修を行なうこととし…
  • 東開発村と洪水の歴史
    2015.1.30
    5−3川とのたたかい
    九郎が生まれ育った東開発村は、庄川中流左岸に位置し、古くから洪水と闘った歴史を持つ村である。  庄川の洪水は、江戸時代は記録に残るだけでも139回あり(『近世砺波平野の開発と散村の展開』)、そのほとんどが柳瀬・開発村に関係している。明治以降もその状況に大した変化もなく、…
  • 金山家文書 立山町郷土資料館蔵
    2015.1.30
    5−2川とのたたかい
    佐藤助九郎は、文久2年(1862)、16歳の時に佐藤組を結成し、同年、藩特命で常願寺川の工事を請負ったとされている(『110年のあゆみ』)。 今回の調査では、助九郎が藩から請負ったという川除工事に関する史料は発見できなかったが、同じ開発村の和兵衛と八三郎と同じように常願寺川の工事…
  • 庄川筋砺波郡用水口堅水門等普請ヶ所見取絵図
    2015.1.30
    5−1川とのたたかい
    万延元年(1860)6月庄川筋砺波郡用水口堅水門等普請ヶ所見取絵図(川西縁)(縦40×横636cm)縦40センチ、横6メートルにもおよぶ絵図である。庄川が山から平野部へ出る弁財天前から、射水郡境の徳市村まで、庄川左岸の用水口堅水門等の普請箇所が記されている。管…
  • @三代助九郎
    2015.1.30
    4−2三代 佐藤助九郎
    @三代助九郎川辺外治画A軸「宝珠」富山市佐藤記念美術館蔵Bチューリップ水差し富山市佐藤記念美術館蔵 三代助九郎は、常に砺波の発展を祈念していた。工場の進出で、砺波の美しい空気と水が汚される事を懸念した助九郎は、産業としてのチューリップ栽培に目をつけた。美しい花を愛で、球根を販売す…
  • 三代助九郎(佐藤工業株式会社蔵)
    2015.1.30
    4−1三代 佐藤助九郎
     明治29年(1896)10月22日、二代目助九郎の長男として生まれる。幼名健太郎。 昭和6年(1896)7月、佐藤工業株式会社の社長に就任。同10月、二代の逝去により、三代助九郎を襲名した。 二代に続き柳瀬村村長を務めるかたわら、富山鉄道、中越銀行、立山酒造などの役員を兼任、昭…
  • 明治2年 東開発村における持高構成
    2015.1.30
    3佐藤家の成長
     佐藤家は、明治2年には、東開発村で14石1斗(9.4反)を有している。これは村内では9番目に多い高である。(当時の名は「助三郎」であった) 明治19年の富山県内の「大地主及営業者調」には、砺波郡で265名の名があがっているが、助九郎の名はない。 富山県内で、多額の直接国税を納め…
  • @貴族院議員二代助九郎
    2015.1.30
    2−2二代目佐藤助九郎
    @貴族院議員二代助九郎(『富山縣政史 第四巻』)A貴族院議員記念写真(佐藤工業株式会社蔵)明治45年3月25日 第二八議会終了当日の記念撮影二代助九郎は後列左から2人目B貴族院議員辞令 明治44年9月29日(佐藤工業株式会社蔵)C柳瀬歴代村長名簿(柳瀬自治振興会蔵)明治36年佐藤…
  • 二代目助九郎 柳瀬自治振興会蔵
    2015.1.30
    2−1二代目佐藤助九郎
     明治3年(1870)8月27日、上新川郡蔵本新村(現立山町蔵本新)北村光茂の次男として生まれる。幼名堯春。  明治27年(1894)、佐藤家に入籍、同37年、初代助九郎の逝去に伴い、家督を継ぎ、二代助九郎を襲名した。  初代の築きあげた治水・鉄道事業に加えて…