『砺波平野の散村』

  • 2014.11.26
    F−2これからの散村
    米価の下落に伴う農業情勢の厳しさは今後さらに強まると予想されます。散村景観の維持と地域の発展には、農業の振興はもちろんですが、より積極的な産業構造の転換が不可欠であるといえます。昭和40年代以降、砺波平野の散村地帯に立地した工場はすでに1000余を数えます。さらに散村地帯にふさわ…
  • 散村景観
    2014.11.26
    F−1これからの散村
    この冊子のそれぞれの箇所で述べてきたように、砺波平野に住み着いた人々は、水の豊かさと扇状地性平野の自然の特性を生かした住まい方を、長い年月をかけて作り上げてきました。どの農家も家の周りの水田を耕作できるように散在して家を建て、風雪から家を守るために宅地の周りに屋敷林をめぐらし、こ…
  • 砺波地方の道路
    2014.11.26
    E−2砺波の町や村
     経済の高度成長によって砺波平野でも多くの道路が建設され、自動車が盛んに行き交うようになりました。道路には、自動車だけが走る「自動車道」、国が管理する「国道」、県が管理する「県道」、そして、市町村が管理する「市町村道」があります。また、農業を振興する目的で作られたスーパー農道もあ…
  • 2014.5.20
    E−1砺波の町や村
     砺波地方の開拓は、庄川の洪水の被害が少ない平野の周囲から進められ、次第に中央部に水田が開かられていきました。また、江戸時代より前には、砺波平野の南側にあった寺の門前に人々が集まって暮らし始め、井波町や城端町、福光町などの町ができました。また、人々が多く通行する北陸道に沿って、今…
  • 変形していた水田とあぜ道
    2014.5.20
    D散村の自然環境 今昔
    今から70年くらい前の砺波平野の田園風景は、今とずいぶん違った風景でした。水田を灌漑するために引かれている用水は、勾配に沿って曲がりくねって流れ下る自然があふれる小川でした。さらに、ほとんどの水田も一枚の面積が小さく、形も様々でした。耕地整理があまり進んでいなかったのです。 しか…
  • 庭園をとり入れて
    2014.5.20
    C−2家をつつむ屋敷林
    スギを中心とした森のような屋敷林に、大きな変化が見られるようになったのは、1955(昭和30)年代の後半からです。それは、防風効果に優れたアルミサッシやトタンなどの新しい建築材料が普及して住宅の改造が行われ、さらに、炊事や暖房には電気や石油、ガスが使われるようになってきたためです…
  • 冬の屋敷林
    2014.5.20
    C−1家をつつむ屋敷林
    砺波地方では、散居の農家をつつむようにして生えている屋敷林のことを「カイニョ」または「カイナ」といいます。 カイニョといわれている屋敷林の歴史は、ここで人々が原野を切り開いて開拓を始めた頃にさかのぼることが出来るようです。人々が自分の住む家を風雨や吹雪から守り、冬の寒さをしのぎ、…
  • 灰納屋
    2014.5.20
    B−2散村の暮らし
    砺波平野にある農家の家には、屋敷の出入り口近くに灰を入れる1.5メートル四方ほどの小屋が建っていました。これらは灰を入れておく灰納屋で、中は土壁の塗りごめで上から灰を入れて下から掻き出すようになっています。 散村の農家では山が遠いので、燃料はほとんど稲わらに頼っていました。カイニ…
  • 青島地区の獅子舞
    2014.5.20
    B−1散村の暮らし
    砺波平野にある農家の多くは、家の周りにある自分の水田を耕しています。そのために、それぞれの農家は、隣りの家と離れて建っています。その農家の周囲は、カイニョといわれる屋敷林で包まれています。家々が点在しているというよりも、小さな森が点々としている風景に見えます。このように散らばって…
  • 古上野のどんど
    2014.5.20
    A米づくりとともに
     広々と広がる砺波平野の水田と散村。そのやや東に片寄って、ゆったりと北に向かって庄川が流れています。砺波平野は、この庄川の扇状地を中心にしてできている平野です。 我が国にある多くの扇状地では、水田に利用されず、畑になったり果樹の栽培が行われたりしていますが、砺波平野の場合は、その…