『五箇山から砺波へ』
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- 2014.11.11
4世界遺産・重要伝統的建造物群保存地区 - 1史跡 合掌造り家屋は、五箇山の特殊産業であった煙硝製造、紙すき、養蚕製糸などを行う作業場を常に確保しなければならないことと、一年の半分近くを雪に埋もれて暮らすために付属建物を作らないで、生活のすべてを一棟の中に取り組む必要があったことなど、このような風土的生産的条件が合掌造りを…
- 2014.11.11
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- 2014.11.11
3五箇山の交通 - 1峠道 谷口集落は河川が平野部に流れ出る扇頂部に立地する。庄川においても地形的には扇頂部の砺波市庄川町周辺が谷口集落なのだが、ここは必ずしも上流部の五箇山との交易で栄えた町ではない。それは庄川があまりに深い渓谷を形成したため、平野への出口付近である砺波市庄川町湯山付近から南砺市利…
- 2014.11.11
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- 2014.11.11
2五箇山の生業と暮らし - 合掌造りといえば入母屋でも寄棟でも合掌組のものはすべて合掌造りであるから、五ヶ山の合掌造りは、正確には切妻合掌造りというべきであろうが、五ヶ山の民家は三角の印象が特に強いのでその名を独占している。 五箇山の合掌は、屋根の形から連想し古代の天地根元造りの残ったものではないかと考え…
- 2014.11.11
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- 2014.11.6
1南砺市城端(その2) - 織物業の始まりは城端水月寺『天満宮縁起』によると大正年間に畑庄左衛門と伝えられる。元禄年間には町の全戸数660余りのうち、機織を家業、または副業として生計を立てる人が実に半数以上に及び非常に盛況にて、加賀藩の重要な物産の一つに数えられてきた。明治初年には、問屋制家内工業の段階で…
- 2014.11.6
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- 2014.11.6
1南砺市城端(その1) - 城端は、善徳寺とその門前町、五箇山との交易、特産の織物業で栄えた町として知られている。このようなかつての繁栄が、城端曳山祭(重要無形民俗文化財)に見られるような素晴らしい町民文化を今に残している。 このような旧町部を核に、周辺の南山田、北野、蓑谷、大鋸屋村からなる城端町が昭和2…
- 2014.11.6