芳里家住宅主屋(ほりけじゅうたくしゅおく)
芳里家住宅(ほりけじゅうたくどぞう)
芳里家住宅(ほりけじゅうたくながやもん)
平成30年11月16日 答申
平成31年3月29日 国登録
個人
砺波市堀内
※個人所有の住宅であるため、見学を希望の方は砺波市教育委員会(0763-82-1904)までご連絡下さい。
芳里家住宅は、砺波平野に広がる散村(散居村)に見られる、典型的なアズマダチの住宅です。
建設後50年を経過したもののうち、(一)国土の歴史的景観に寄与しているものとして、芳里家住宅の主屋、土蔵、長屋門の3件が国の登録文化財に登録されました。
●芳里家住宅主屋(ほりけじゅうたくしゅおく)
明治14年(1881)、18代三治氏が村の大工を棟梁に新築し、明治43年(1910)、19代三輝氏が離れ座敷等を増築しました。このとき茅葺きから、瓦葺きのアヅマダチとなりました。芳里家の伝によると、芳里家、根尾宗四郎家、桜井志郎家の三軒が同時期に「屋根を下ろした」、つまり茅葺きから瓦葺きに改めたとされ、砺波地方でも早い段階で瓦葺きとなった家です。
ヒロマは豪壮なワクノウチヅクリで、部材には全て漆を塗った欅を使用しています。
また主屋の各処には銘木が使用され、建具、色砂壁、釘隠し、引手など、材料・技術・意匠ともに優れています。
●芳里家住宅土蔵(ほりけじゅうたくどぞう)
明治6年(1873)建築の家財蔵です。2階の窓板戸に、「明治六年六月建之」の墨書があることから、建築年代が判明しました。また、富山県内では珍しい、校倉形式の柱のないセイロ組構造です。
※クラ:収穫した籾を貯蔵したり、膳や椀などの利用度の少ない調度品を収蔵したりするための建物。外壁は延焼を防ぐために漆喰塗り込め仕上げ(土蔵造り)となっているため、土蔵とも呼ばれています。
●芳里家住宅長屋門(ほりけじゅうたくながやもん)
明治43年(1910)頃に19代三輝氏が建て、平成28年に改修されました。
太い鏡柱と冠木(かぶき)を組み合わせ、旧家の風格ある表構えを示しています。
※長屋門(田門・多門):両側に納屋を持つ長屋形式の建物です。江戸時代には十村などの役宅にのみ許されていましたが、明治以降、経済的に余裕のある大地主たち、「村のオヤッサマ」が多門を建てるようになりました。防衛のための門というよりも、一種のステータスシンボルとしてての意味合いが強い。中央は両開きの門で、両脇の納屋は農具や藁・茅などの置場・米倉などにも使われました。
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