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芳里家住宅 2019.4.15
アズマダチ建築の典型例

芳里家住宅主屋

芳里家住宅主屋(ほりけじゅうたくしゅおく)
芳里家住宅(ほりけじゅうたくどぞう)
芳里家住宅(ほりけじゅうたくながやもん)



平成30年11月16日 答申
平成31年3月29日 国登録

個人
砺波市堀内


※個人所有の住宅であるため、見学を希望の方は砺波市教育委員会(0763-82-1904)までご連絡下さい。



 
 芳里家住宅は、砺波平野に広がる散村(散居村)に見られる、典型的なアズマダチの住宅です。

 建設後50年を経過したもののうち、(一)国土の歴史的景観に寄与しているものとして、芳里家住宅の主屋、土蔵、長屋門の3件が国の登録文化財に登録されました。 


 

旧家のたたずまい

●芳里家住宅主屋(ほりけじゅうたくしゅおく)
 明治14年(1881)、18代三治氏が村の大工を棟梁に新築し、明治43年(1910)、19代三輝氏が離れ座敷等を増築しました。このとき茅葺きから、瓦葺きのアヅマダチとなりました。芳里家の伝によると、芳里家、根尾宗四郎家、桜井志郎家の三軒が同時期に「屋根を下ろした」、つまり茅葺きから瓦葺きに改めたとされ、砺波地方でも早い段階で瓦葺きとなった家です。


 ヒロマは豪壮なワクノウチヅクリで、部材には全て漆を塗った欅を使用しています。
 また主屋の各処には銘木が使用され、建具、色砂壁、釘隠し、引手など、材料・技術・意匠ともに優れています。


●芳里家住宅土蔵(ほりけじゅうたくどぞう)
 明治6年(1873)建築の家財蔵です。2階の窓板戸に、「明治六年六月建之」の墨書があることから、建築年代が判明しました。また、富山県内では珍しい、校倉形式の柱のないセイロ組構造です。


※クラ:収穫した籾を貯蔵したり、膳や椀などの利用度の少ない調度品を収蔵したりするための建物。外壁は延焼を防ぐために漆喰塗り込め仕上げ(土蔵造り)となっているため、土蔵とも呼ばれています。



●芳里家住宅長屋門(ほりけじゅうたくながやもん)
 明治43年(1910)頃に19代三輝氏が建て、平成28年に改修されました。
 太い鏡柱と冠木(かぶき)を組み合わせ、旧家の風格ある表構えを示しています。


 ※長屋門(田門・多門):両側に納屋を持つ長屋形式の建物です。江戸時代には十村などの役宅にのみ許されていましたが、明治以降、経済的に余裕のある大地主たち、「村のオヤッサマ」が多門を建てるようになりました。防衛のための門というよりも、一種のステータスシンボルとしてての意味合いが強い。中央は両開きの門で、両脇の納屋は農具や藁・茅などの置場・米倉などにも使われました。


 


 

芳里家の歴史とカイニョ(屋敷林)

芳里家について
 
 先祖は、戦国時代、増山城主・神保長職の家臣であった小野氏とされ、この地に定住し土地を開拓しました。藩政期には代々三助を名乗り、堀内の肝煎役などを務めました。
 芳里家は、堀内村の戸長、油田村の村長などを務め、地域の中心的な家柄でした。同時に、18代三治氏は醤油醸造業、19代三輝氏は出町倉庫取締役芳里合資会社など、実業家としても活躍し、財を成しました。
 

 屋敷林にも、散村(散居村)で見られる特徴がよくあらわれています。前庭の左右にはケヤキの大木があり、シンボルとなっています。またウラジロガシ(ブナ科の常緑高木)のも歴史を感じさせる古木です。南側から西側にかけて、多くの樹木が裁植されていますが、杉の大木は少なく、これは戦時中に供出されたためです。かつては南側や西側にも杉の大木があり、屋敷林全体のバランスをとっていました。現在、ケヤキとウラジロガシが保存樹、また屋敷林全体が保存樹林に指定されています。

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お問い合わせ

砺波市教育委員会 生涯学習・スポーツ課
電話番号:0763-82-1904
FAX番号:0763-82-3521

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