■巡見使道・砺波市内
江戸幕府は各藩の政情および民情視察のため、ときどき特使を地方に巡見させたが、特に将軍の代替わりごとに目付役を出して監察させた。これを巡見上使、または廻国上使といった。
巡見上使は、使番(つかいばん)一人、小姓組番・書院番のもの二人、そのほか一行をもって組織し、おのおの専門にわかれて視察した。上使が藩につかわされることがきまると、藩に通達して、上使の接待・贈り物などについて厳しく制限し、あるいは禁止事項を示して、迷惑にならぬよう命じた。しかし藩では、巡見上使の報告が藩の将来に大きく影響するので、非常に心を労した。
加賀藩では上使の来意をうけると、早速算用場のうちに特別の係りを設け、藩の役人は勿論、十村役などまでを加えて接待の準備をさせ、上使の通る町や村の肝煎には上使が質問しそうな問題を書き上げた模範解答をつくって通知している。それは丁寧なものでボロを出さぬよう細心に注意している。その中には富山にあった磯辺の御庭(今の護国神社のあたり)の大きな築山を、神通川の水害除けであると答えよというのがある。
巡見上使の通る道はきまっていた。これを巡見使道という。越中の国へは、能登の羽咋から国境の臼が峰を越えて床鍋(氷見市)に入り、射水郡(氷見郡を含む)の西部を経て砺波郡を通り、再び射水郡に入り、婦負郡・新川郡を巡視して越後国へ向った。
(富山文庫10『富山の史蹟』より)
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