大正8年12年かけて改修工事が行われ、現在の富山湾に注ぐ川筋になるまで庄川の川筋は定まりませんでした。そのため大嶋家の大杉は、雄神から高瀬に至る道しるべの役をしていました。
このスギを中心に数本の樹叢があり、水害をくぐり抜けていたことに目をつけ先祖が居を構えました。代々、言い伝えとして「切ったらあかん」「神が宿る木」と言われてきたそうです。また、戦前カイニョから十数本供木したが、このスギは用材として間に合わないとして残されました。
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