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【ぶらり出町散歩シリーズ5】 2016.2.18
【2016.02.09Facebook記事より】

『越中遊覧志』


『越中遊覧志』という本を読みながら、頭の中で歴史旅行をするのが好きです。
この本は竹中邦香(くにか)という江戸から明治に生きた人が書いた地誌です。加賀藩士の子として生まれ、官吏から民間人まで気の向くままに転々と活躍した人物。その邦香が明治17年(1884)から翌年にかけて加賀と越中を往復して書き上げたのが『越中遊覧志』です。
さて、この書物に出町のことが書かれているので紹介しましょう。といってもその当時はまだ出町とは通称名で、正式には杉木新町と呼ばれていた時代です。

【杉木新町ハ津沢の東、戸出の西南にあたり、大辻新・大辻・深江・杉木等の諸村と地境相まじはり、戸数306、人口1305ありて、郡の中央に位するが故に、藩政のときハ郡衙を爰(ここ)に置けり。故ニ商賈多くして戸数にくらぶれバ繁華の地たり。養蚕を業とするものあれども甚多からず。】

人口は1305とあります。現在は8544(広報出町H27.9月号)ですから、いまの15%しか人口がいなかったことになりますね。そして養蚕が産業としてあったことがわかります。

【この地仏壇を製するもの多し。元来越中ハ仏教盛なる中にも、真宗その半を過ぐ。その門徒の風、仮令(たとえ)わが家ハ粗造なるも、仏厨を荘麗ならしむを無上の栄楽なとなすものの如し。故に職工これを製するを専業とするものあり。その価低きハ数円金、貴きハ数百円にいたる。盛というべし。】

遊覧志では、出町の特産でもっとも強調されているのが仏壇製造業。今、出町で仏壇を製造しているところは残っているでしょうか。少なくとも130年ほど前には出町の主要産業だったということがわかります。現在、出町の商店街に仏壇店がありますが、何か関係があるのでしょうか。ご存知の方がおられたら、ご教示ください。
つづく。

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