庄東山地は、谷間谷間に古くから人が住みついて、近世初期にはほぼ開拓が終わっており、特に増山(旧)は、増山城の城下として寺や諸職人が集まり、小さいながらも城下町を形作っていた。ただ、芹谷野の広い段丘だけが水利にめぐまれないため、そのままにされていた。しかし、藩政時代に入って未開の地がどんどん開かれだすと、ここも好適地として注目された。その動機には、射水平野西部の灌漑ということもあったにせよ、ここに近世の砺波平野では、最も大きい、そして典型的な新田開発が始まる。
当時、射水地方の御扶持人十村をつとめて、農事の振興に努力していた射水郡島村の九郎兵衛(折橋氏)は、庄川から水を補給することを思いたった。その際、芹谷野を通したならば広大な未開地も開けるから、一石二鳥であると考えた。そして、そのころ砺波郡の御扶持人十村をつとめていた戸出村の川合氏と相談の上、1663年(寛文3)の春に藩に願いを出した。
用水開さくの許可を得た島村の九郎兵衛と戸出村の又八は、早速人夫を集めて開さくに取りかかった。こうして引かれたのが、延長32kmの芹谷野用水である。用水が通じると、それを待ちかねたように付近の村々から入植者が入った。また、出作による開墾が行なわれて、翌1664年(寛文4)には一挙に20の新村が作られた。この新開の結果、約5000石ほど開かれたことになり、この新開は大成功を収めた。
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