砺波市の文化を、デジタルで楽しむウェブサイト。TONAMI DIGITAL ARCHIVES

刊行のことば 2014.9.4
刊行のことば

 現在の私達の生活は、砺波の先人達が営々として築いてこられた延長線上にあります。今の自分たちの営みを深く知るためには、過去のことが未来への、よりよい展望を拓く契機ともなることでしょう。

 砺波市には昭和40年に発刊され昭和59年に復刻された『砺波市史』(全1巻)がありますが、そのジュニア版として、このたび誰にでも親しまれ、わかりやすい『砺波の歴史』を作ることになりました。この中には、最近新しく発見された郷土の事柄も、十分に取り入れてあります。

 砺波市史の『資料編』発刊をま近かにひかえ、市史編さん事業にとっては、まことに、さい先のいいスタートでもあり、喜ばしい限りであります。これひとえに、終始、誠意をもって尽力された委員の御苦労によるものと、心から感謝いたします。広く全市民に読んでいただきたく、ひとりひとりが、故郷をみつめなおし、そのことを糧として、創造性豊かな明日への活力を生み出されることを願ってやみません。


昭和63年1月
砺波市長 岡部昇栄

【砺波市史編簒委員会 『砺波の歴史』1988年より抜粋】

越中国砺波郡伊加流伎野開田地図

・天平宝字3年(759) 奈良市 正倉院宝物

越中国における東大寺領の占定は天平勝宝元年(749)に行なわれたが、10年後に国司と東大寺が検定してこの絵図を作成した時は、まだ全部が未開墾であった。その後の神護景雲元年(767)検定の際の絵図では、開墾の進展がうかがえる。

五十嵐篤好奉納絵馬

・天保6年(1835) 砺波市林 林神社蔵


五十嵐篤好(いがらしあつよし)は砺波郡内島村(現高岡市東五位)の人。寛政5年(1793)生まれ、文久元年(1861)没。砺波郡の十村(とむら)として農政に尽くす一方、国学と和歌を江戸の冨士谷御杖(ふじたにみつえ)に学び、歌稿「臥牛斉詠草(ふすしのやえいそう)」(12冊)ほか多数の著がある。この奉納絵馬は式内社林神社へ和歌を献じたもの。恐らく砺波郡式内7座へそれぞれ奉納したものと思われる。

田植風景

・大正6・7年ごろ 砺波市鷹栖 吉田覚治宅前

早乙女(さおとめ)が22人も並ぶ大田植。後に代かきの馬、枠ころがし、苗運びの人たちの姿も見える。水苗時代の田植えは、5月20日過ぎから6月初めごろまでの間に行なわれた。

「『砺波の歴史』」の他の記事

MORE

「散村」のタグの記事

MORE

「農林業 田植え」のタグの記事

MORE