飛騨と庄川の関係をよく表しているのが「飛騨国南方北方山絵図扣(ひかえ)」(岐阜県歴史資料館蔵)です。
この絵図は、飛騨が天領になった元禄5年(1692)年以降に書かれたもので、飛騨の山を南北に分け、太平洋側と日本海側にいたる川筋(本流のルート)が描かれています。絵図中の白川を抜けた所に、「越中金屋」の文字があります。金屋には、御用木を一時的に溜めておく「御囲場」がありました。金屋は、飛騨山中から伏木、さらに江戸・大坂に御用材を運ぶための中間地点として重要な場所の1つであったことがうかがえます。
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