天明8(1788)年1月30日、京都東本願寺が火災に合い、御堂と阿弥陀堂ともに焼失しました。
江戸幕府は、その再建に寄進するため、寛政3(1791)年に飛騨の北方白川山から槻・桂・栗などの木材を伐り出しました。庄川を川下げし、金屋の御囲場に集められ、さらに筏で伏木まで運ばれました。その後は西回り航路で日本海沿い南下し、瀬戸内海を通って大坂まで舟運され、京都本願寺に着きました。焼失してから丸9年後の寛政9(1797)年3月、御堂が再建されました。
この東本願寺再建の木材を五ヶ山中で流送している図が『二十四輩順拝絵図』に載っています。解説文には「本願寺御再建の時、御用木を飛騨山より伐出せしに、(中略)巨材悉く雄神川(庄川)へ伐落し、越中へ運送して(中略)御堂(中略)造立せし」と書かれています。
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