庄川の急流を抜けて平野部に辿り着いた木材は本流から分かれ、用水路を通って溜められました。このような一時的に材木などを溜めておく場所を土場(どば)または渡場(どば)と呼びました。
また、江戸後期より庶民が使用する雑木、薪・木呂(ころ)も川下げ、陸揚げ・集積した場所を木呂留場(ころとめば)と言いました。
明治維新後、藩による伐木に関する規制がなくなると、飛騨高山の材木商が川下げを行うようになり、金屋・青島は飛騨や五ヶ山から伐り出され、庄川を川下げされた大量の木材であふれました。
土場は、明治に入って常設の貯木場、青島貯木場になりました。
現在の庄川中学校辺り一帯が青島貯木場があった場所です。
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