庄川から北海道への流送の出稼ぎは庄川で流送がなくなる以前から行われていました。
流送の仕事は北海道の苫小牧製紙、十條製紙、王子製紙の製紙会社から依頼されました。庄川出身は越中衆、青森出身は南部衆などと呼ばれました。越中衆は舟を操るのが上手く、真面目で働き者として知られていました。
北海道での仕事には3月中ごろに富山を出発しました。まだ雪の残る北海道の寒さは富山の比ではなく、厳しい環境の中での仕事でした。
北海道では、運搬に馬を使っていました。散在している木材を集め、雪の中を地元の馬喰(ばくろう)が操る馬ソリで川のそばまで運びました。 北海道の川は上流部では鉄砲出しをしますが、本流では勾配がゆるく、川幅が広いのでゆったりと流れます。
【砺波郷土資料館『流送に生きた人々展示図録』平成26年より抜粋】
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