満州での流送
昭和初期、庄川の流送夫は、開拓が進められていた満州へ流送しに出稼ぎに行きました。
富山から下関までは汽車で移動し、そこから船で朝鮮半島の釜山に渡り、さらに朝鮮半島の鉄道を北上し、満州国に入りました。そして南満州鉄道や国有鉄道に乗って各方面に向いました。 流送した木材は軍事用材でした。満州の川は大きく、幅が広かったので、バラバラにならないよう、筏に組んで流したとのことです。
だんだんと情勢が悪くなり、危険が及んだので、満州での流送は昭和14、5年ほどで終わりました。
満州(Manchu)
一般的に満州は、中華人民共和国の北東部と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区東部の範囲一帯の俗称です。 満州には山脈や河川が多く、各国との境界は川や山脈によって分けられていました。 昭和6(1931)年、大日本帝国関東軍は柳条湖(りゅうじょうこ)事件を発端として満州を占領し、昭和7(1932)年に満州国を建立。多くの日本人が開拓のため、満州へ渡りました。 昭和20(1945)年の第二次世界大戦終結とともに満州国も消滅しました。
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