初代助九郎がいち早く鉄道の時代が来ることを予想して、東海道線の工事に進出したように、二代助九郎もまた、次なる時代の到来を予想していた。
幼少のころから常願寺川の洪水に苦しめられ、その縁があって柳瀬の佐藤家に養子に入り、佐藤組の跡を継いだ二代助九郎は水の力の恐ろしさを知ると同時に、水の持つ力の大きさも知っていた。
この水を、禍転じて福と為すすべく利用したのが水力発電であった。
佐藤組は、明治42年に片貝川水力発電を請負ったのを皮切りに、大正6年以降は次から次へと発電所工事を請負い、富山県内だけでなく岐阜県や福島県にまで進出した。大正8年には二代助九郎自らが社長となり、神通川電気株式会社を設立した。
また、これより先の大正2年9月、北陸線の全通を期して富山県は一府八県連合共進会を堀川村(現富山市堀川)で開催したが、そのための市内電気軌道が計画された。大正2年3月に助九郎らの富山軽便鉄道合資会社に免許状が交付され、工事は佐藤組が請負て開通させた。
2015.1.3010佐藤組を支えた手代たち−各組のハッピ−
2015.1.308−4鉄道工事
2015.1.308−3鉄道工事
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