八代目頭取 谷川七次郎 (中神 谷川七次郎)
天保6年(1835)、小島村(現砺波市小島)に生まれ、明治初年までには出町(地所は中神)へ居を移したと思われる。 若い頃から多くの門弟を育てることに力を注ぎ、家の裏庭に弟子のための二階建ての小屋を作り、一階は稽古場として、二階は弟子たちの寝泊りに利用させていたという。 瑞泉寺で最も古いと思われる関額に記された年未詳の38名の大関のうち、9名が谷川の門人であることからも、すぐれた指導者であったと推察される。また、直接門弟の指導にあたるかたわら、今日残っている番付などに「勧進元」「板元」「年寄」などとして名が記されていることから、江戸相撲・加越能相撲・宮相撲など、さまざまな種類の相撲の興行につとめいていたことがわかる。 晩年の明治35年(1902)には、出町相撲年寄の筆頭となり、多くの力士を率いて越後地方の巡業を試みいたるところで大入満員の木戸止めの盛況を呈したという。 明治37年(1904)に、70歳で死去した。当地方の相撲の振興に尽くした一生であった。明治9年(1876)には、門弟128名の名を刻した石碑が建立されている。これだけ多くの門弟名を記した石碑は他には見られない。
谷川七次郎肖像画・・・(砺波市広上町 個人蔵)「明治二十六年七次郎五十九歳」(箱書)
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