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11太田の金毘羅相撲 2015.2.12
太田の金比羅相撲

上:太田公園 下:太田三光庵

太田公園

現在は公園になっているがもとはすり鉢型の大きな相撲場であった(9章の写真参照)








太田三光庵

金毘羅相撲の大関額が保存されている。

太田金比羅社の大関額展示風景

本関額は、太田金比羅社で毎年7月23日に行なわれてきた加越能三ヶ国相撲大会のものである。

本社の相撲大会は「太田の金毘羅相撲」として名高く、だれでもが自由に参加できるわけではなく、その実力を「親方」に認められたものだけが出場できた。砺波地方では瑞泉寺に次ぐ権威のある大会であったといわれている。

本額には明治42年から昭和3年までの大関・関脇・小結三役の四股名と住所が記されている。「加越能三ヶ国相撲」というだけあって、三役には砺波郡の力士だけでなく、氷見郡・射水郡・婦負郡・新川郡など県内各地から、さらには金沢や能登の力士名が見られる。

本額は、金毘羅相撲場の北側にある三光庵に保存されてきたもので、このほかに昭和4年から同31年までの三役名がきされたもう一つの関額がある。その額にはまだ名札をあげる余白があるが、多分昭和31年で相撲大会が終了したものであろう。昭和25年ごろを境として急速に人々の相撲熱は少なくなったと聞くが、太田の相撲は昭和31年まで健全であったことがわかる。


【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】


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