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7若林 2016.2.25
若林地区の大字・小字一覧





















 地区名 大字小字 
 若林 
1狐島

1天竺田島 2榎島 3池田島 4難波窪
  
2西中

1甚蔵島 2焼野 3中之島
  
3下中

1下原島 2万部島

1. 狐島(きつねじま)

1 天竺田島(てんじくだじま)

   この一帯、肝煎をつとめた藤右衛門家累代が開発に力をつくしたという。

  ・カラシマ 約1町歩((新)1〜4)東寄り。
  ・カワラジマ(川原島) 約3町歩((新)43〜52)。
  ・ゴロウジマ(五郎島) 約2町歩((新)100〜107)。
  ・タヌシジマ 約5畝歩(754)。
  ・ロクスケダ 約6畝歩(124)周辺。
  ・サカヤヅクリ(酒屋作) 造酒屋跡、約4畝歩(584)


 2 榎島(えのきじま)

  ・ガメブチ(亀淵) 圃場整備前は、幅約20m、長さ100m、周囲の田とは約1mの段差の窪地で、往時庄川の数度の氾濫に中村川が大きく蛇行曲折した所に深淵が出来、亀(がめ)が多く棲息していたことから”がめぶち”と呼び伝えている。現中村川河川敷(2488〜2527)。
  ・サンゲンマチ(三軒町) 県道(砺波・小矢部線)沿、明治初期道路改修後、道沿いに造酒屋始め村内からの分家や転住者が居を構え店を開くものが出来、明治から大正期にかけ数職種の人々が住み、小さな町並となり日常生活用品等はここで用を足せるようになった。明治中期頃の三軒の店がはじまりか。
  ・カワナカジマ(川中島) 約2反歩((新)280)西寄り(4009)周辺。
  ・チョウレンバ(調練場) 幕末の元治元年、加賀藩は地方より20才以上の男子を募り洋式銃隊の訓練をした。当時この地に5,400坪を請地して、300人〜500人位集め火縄銃の操作演練したという。約1町8反((新)76〜80)、一部野割島。
  ・ヒラク(開) 約5町((新)1363〜1395)、一部長割。


 3 池田島(いけだじま)

  往昔、低湿地、沢、池等が点在し、開田も困難を極めたという。
  ・クロベエジマ(九郎兵衛島) 約5反歩((新)575〜576)。
  ・スワドウジマ(諏訪堂島) 元諏訪社付近(2374)周辺。
  ・ハチマイダ(八枚田) 約3反歩(1476)周辺。
  ・イッタンボリ(一反堀) 湧水と川からの余水で貯水池となり、明治31年夏早魃のため、この川口をめぐり下流の東中農民と狐島農民との間に紛議が起きている。約6畝歩(2134)。
  ・ナガボリ(長掘) 湧水の溜池で灌漑水を補った。共同墓地隣接、約4畝歩(1980)。
  ・ガメボリ 湧水と川の余水の溜池、共同墓地隣接、約3畝歩(1984)。
  ・ドザワ 共同墓地付近約3反歩((新)354・356)東寄り。
  ・ハタケダ(畑田) 約6反歩、長堀下流域((新)350〜353)。
  ・カワナカジマ(川中島) 約6畝歩(2619)周辺。
  ・ワタリ 数条の江が交叉分岐の箇所で水量の調節に役立ったという。(2016)
  ・シンサワ(新沢) 往時の沢を開田したという。排水不能のため農耕に難渋した。約1反5畝歩(1605)周辺。
  ・ヨシヒラク(葦開) 往時葦の原野を開田したという。約2反(1385)周辺。
  ・ウマアライバ(馬洗場) 寿永2年、木曽義仲が砺波山合戦に備え、この地で馬を洗わせ兵を休養させたといい伝えられている。また、往時この地の土豪が馬匹の飼養をしたという。(2113〜2124・2241〜2245)
  ・ウラタンボ(浦反甫) 狐島地内で川下(池田島北寄り)地域をいう。
  ・ガンショウジミチ(願称寺道) 狐島地内の県道(上渡〜西中線)をいう。


 4 難波窪(なんばくぼ)

   圃場整備前は、約60cmの段差のある窪地で、1m掘っても粘土質の土地であった。約3反4畝歩(2401〜2406・2787〜2792)。
  
   <中字>
  ・ニシデ(西出) 藩政期頃からの村運営のための便宜的区分なのか不詳。現在組織的なものとして、村の神社祭礼の獅子舞が西出に「二人立獅子」が継承運営されている。(天竺田島)
  ・ヒガシデ(東出) 東獅子方保存会により「百足獅子」が継承運営されている。(榎島、池田島)

2. 西中(にしなか)

1 甚蔵島(じんぞじま)

  ・ヨシベエヅクリ(与四平作) 与四平の作付なるも、北海道に移住したためその名を取るもの。約2反3畝歩(2108・2115・2119・2131・他)。
  ・カクベエヅクリ(覚平作) 約2反3畝歩(87〜91)。
  ・ゴンベエヅクリ(権兵衛作) 約1反歩(1159・1161・1165)。
  ・シンミヤヅクリ(新宮作) 新宮という名の川がありその名をとったらしい。約2反7畝歩(609〜611・613〜615)。
  ・ゾウノタ 約2反歩(350・354・359・361・362)。


 2 焼野(やけの)

  ・アメダ(天田) 約2反5畝歩(2285〜2287)。
  ・ブンゾウヅクリ(文造作) 文造という人の作付なるも北海道に移住したため、その名を取るもの。約2反7畝歩(2355・2356・2360・2361・2365・2367・2374・2369)。
  ・ゴンジョウワリ(権條割) 約5反歩(2342・2344〜2351・2362・2363)。
  ・トナイダ 約2反歩(2377〜2379・2781・2784・2785)。
  ・ナガワリ(長割) 約3反歩(2264・2270・2271・2273・2276)。


 3 中之島(なかのしま)

  ・ゲンニョモンヅクリ(源右衛門作) 源右衛門の作付なるも、死亡したあとを作る。約2反3畝歩(3779・4222〜4224・4226・4245〜4248)。

3.下中(しもなか)

1 下原島(したはらしま)

   藩政時代、村の肝煎をつとめた仁右衛門家代々がこの一帯の荒蕪地の開田に尽力したという。
  ・カワダ 約5反歩((新)52・53)(2197)周辺。
  
・サンノシマ 約1町歩((新)7〜11)(1702)周辺。
・ショウコウジマ(勝光島) 小規模な微高地、湧水地帯での唯一の畑地として、蔬菜つくりに数戸の農家が耕作したという。約4畝歩(1305)。
・カミナリノツメ(雷ノ爪) 沢の跡地で異様な形状の多年草が群生したことからいわれる。約2畝歩(1942)。
・ミズアビドブ 湧水地で、灌漑に利用された。また、子供らの格好の水遊び場であったという。約4畝歩(1830)。
・チョウチンドブ(提灯どぶ) 20坪(1803)。
・オオドブ 約7畝歩((新)21)(1423・1631)周辺。
・キタハラジマ 約1町歩((新)16〜19)(1562)周辺、中村川沿。
・ドウシマ(堂島) 約5反歩((新)69・70)(1238)周辺。
・ドウレイジマ 約5反歩((新)71・74)黒石川沿。
・フジヅカ(藤塚) 約5反歩((新)50・51)(2189)周辺。
・シンビラク(新開) 約5反歩((新)23)(1406)周辺。


 2 万部島(まんぶじま)

  ・カラダ 約2町歩((新)108,109,114)(2375)周辺。
  ・ノグチ 約1町5反歩((新)171,172)(2442)周辺。
  ・トムラミチ(十村道) 藩政期、この地方の支配者十村役長田家に通じる道で、近隣村民らに利用されたという。

  <中字>

  ・ミヤムラ(宮村) 往昔より中村郷の守護総社中村埜神社が位置したことから「宮村」という。




【砺波市老人クラブ連合会発行「砺波市の地名−郷土の字・由来調査事業報告書」1993年より抜粋】

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