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726_スキ(ニダンズキ)

普通の犂の前にもうひとつ小さい犂がついていて、上下二段に同時にすき起こすことができる。下段の大きい犂ヘラの返しは犂身後部の軸棒により操作。
昭和30年代の一時期、土壌の深い地域で使われたが、まもなく動力耕耘機が普及したので、すぐに使われなくなった。
(焼印)「特許 長谷川式」「犂砕土機 日本海農機具製作所 富山井波町」

※犂(すき):砺波平野の乾田地帯では江戸時代から馬耕が広く見られたが、主に犂床(すきどこ)の大きい長床犂(ちょうしょうすき)が使用されていた。明治の中頃から犂床の短い短床犂が一般に普及したようである。その一つに是戸村放寺の清都家で作られていた「ホージのスキ(放寺の犂)」があった。この犂は、片側に土を反転する単用型の短床犂で、犂身が一本の曲がった木で作られていて軽く、しかも深く耕すことが可能だったので重宝がられた。しかし、泥を左側へだけ反転させる短用犂だったので、犂耕の前に、あらかじめ犂の通る溝を三ツ鍬で1尺幅ぐらいに起こす「バンノコ割り」をしなければならず、大変であった。
明治末期には犂ヘラが左右に回転する双用犂が普及し始めた。双用犂は、明治33年に長野県の馬耕教師松山原造が考案した犂で、明治38年頃から神島村の加賀見孝三などが組織した「丸共農益舎」が砺波地方に販売し始めた。その後、砺波でもこの犂に改良を加えて生産されるようになり、大正末年には東野尻村の田辺七蔵による「カワタ犂」、同村川辺菊蔵による双用犂、出町の田辺正一郎による「田辺式深耕犂」、井波町山見の長谷川長右衛門による「長谷川式犂」、山野村専勝寺の荒木外喜雄による「荒木式深耕犂」などが次々と製造・販売されるようになった。
このように、砺波地方では大正末期から双用犂の製造が盛んになり、県内はもとより東北・北海道までも広く販売された。
地域
撮影地不明
撮影場所
砺波市苗加
材質・形状
犂ヘラは上下とも一枚の鉄板。
寸法
犂ヘラの全長:大45.5cm、小33cm。犂身の長さ117cm、練木の長さ129cm。
関連タグ
市指定文化財,有形民俗文化財,農林業 耕耘

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