砺波市の文化を、デジタルで楽しむウェブサイト。TONAMI DIGITAL ARCHIVES

C−2家をつつむ屋敷林 2014.5.20
(5)変化する屋敷林

庭園をとり入れて

スギを中心とした森のような屋敷林に、大きな変化が見られるようになったのは、1955(昭和30)年代の後半からです。それは、防風効果に優れたアルミサッシやトタンなどの新しい建築材料が普及して住宅の改造が行われ、さらに、炊事や暖房には電気や石油、ガスが使われるようになってきたためです。

 また、これまで屋敷林の木や竹を利用して作られていた生活用具や農具のほとんどが、プラスチックなどの化学製品や鉄で作られた農機具に代わってきたこともあります。価格が安い外材(外国から輸入される木材)が増えたことも、建築材料としての屋敷林の役割を失わせることになりました。

 多くの木々があると、その落ち葉の始末や枝打ち作業が大変であるということで屋敷林を邪魔者扱いし、伐採する家も増えてきました。

 このように、豊かな木々があった砺波平野の屋敷林は、年々少なくなっています。最近では、広葉樹やタケが伐採されてスギだけが目立つ屋敷林や、花木、クロマツ、モチなどを多く取り入れた庭園風の屋敷林が多く見かけられます。

(6)緑の環境として

屋敷林がもっていた優れた役割は、時代の移り変わりとともにいろいろ変化してきましたが、屋敷林の樹木の果たす役割は今も変わっていません。

 屋敷林の樹木は、夏の暑い日射しを遮り、木々の葉が持っている水分を水蒸気にして蒸発させる蒸散作用は、周囲の気温を下げる働きをしています。冬は冷たい風によって住まいの熱が奪われるのを防ぐ効果が大きく、それが地域全体の気温にも影響を与えているといわれています。また、防風の効果についても、風の吹いてくる風上側では、樹木の高さの約5倍、風下側では、約20倍と言われているように、屋敷林が地域全体の風を弱める働きをしているのです。

 屋敷林の枝や葉は、騒音を吸収したり汚れた大気のちりやほこりを取り込む役割も果たしたりしています。鳥や昆虫の生息の場ともなる屋敷林ですが、フィトンチッドを発散させて心身をリフレッシュさせてくれるなど、私たちの健康保持にも役立っています。

 このように屋敷林は、砺波平野の美しい景観などをつくるとともに、人間や生き物が暮らす上で穏やかな緑の環境を提供するなど大切な役割を果たしているのです。

【供木で屋敷林が変化】

第二次世界大戦が激しくなると、軍需用に使う木材が不足するようになりました。そこで、民間から木材を集めることになり、その対象となったのが屋敷林でした。

 砺波平野の屋敷林には、スギやケヤキなどの良質の材木が多く、しかも伐り出しやすかったからでした。1942(昭和17)年3月に「かいにふ(屋敷林)伐採ニ依ル軍需用材供出運動ニ関スル件」という県の文書が出されましたが、伐り出しはなかなか進みませんでした。翌1943(昭和18)年春から本格的に屋敷林の伐採が始まりました。

 さらに1944(昭和19)年になると、県内一斉に屋敷林の伐採が行われて、直径8寸(約24センチメートル)以上の木が供木の対象になりました。先祖から大切に守られてきた屋敷林は次々に姿を消して、散村の風景は大きく変わりました。

 現在の屋敷林に残る大きいスギは、このときに細くて供木されなかったものです。

【屋敷林の鳥たち】

さまざまな木がある屋敷林は、鳥たちにとっては程よい小さな森であり、そこにある木の実や、虫たちを求めて多くの鳥が訪れます。

 季節により小規模な移動をするウグイス・ミソサザイ・ウソ・メジロ・そしてツグミ・アトリなどの冬鳥、カッコウ・アマサギなどの夏鳥、さらに一年中ほぼ一定の地域に住むスズメ・カラス・ヒヨドリ・モズ・トビなどがいます。

 また北から南へ渡る途中に1週間ばかり羽を休めるヨタカやノゴマ・ジョウビタキなどの渡り鳥も見かけます。耳をすませば四季折々に小鳥たちのさえずりが聞こえる砺波の屋敷林です。

【砺波市立砺波散村地域研究所『砺波平野の散村「改訂版」』2001年より抜粋】

「『砺波平野の散村』」の他の記事

MORE

「散村」のタグの記事

MORE

「景観の保護」のタグの記事

MORE

「扇状地」のタグの記事

MORE

「アズマダチ」のタグの記事

MORE

「マエナガレ」のタグの記事

MORE

「入母屋」のタグの記事

MORE

「カイニョ」のタグの記事

MORE

「ワクノウチ造り」のタグの記事

MORE