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2五箇山の生業と暮らし 2014.11.11
合掌造り

重要文化財 村上家

 合掌造りといえば入母屋でも寄棟でも合掌組のものはすべて合掌造りであるから、五ヶ山の合掌造りは、正確には切妻合掌造りというべきであろうが、五ヶ山の民家は三角の印象が特に強いのでその名を独占している。

 五箇山の合掌は、屋根の形から連想し古代の天地根元造りの残ったものではないかと考えられたこともあったが、根元造りは掘立柱がまっすぐ通って棟を受ける形式であるから、似て非なるものである。また、古代母系制時代の名残である大家族の住むための住居ともいわれるが、五ヶ山では、かつて厳密な意味での大家族が存在した事実はないようである。

むしろ、一年近くを雪に埋もれて暮らすために付属建物を作らないで生活のすべてを一棟の中に取り込む必要があったという風土的な条件を考えねばなるまい。また、養蚕をするためには屋根裏の広い空間を必要とし、その明かりを取るためには切妻が何より好都合でもあった。また、牛馬を飼い、紙を漉き、塩硝を作るためには土間を広くとらねばならなかった。こうした風土的生産的条件が合掌造りを作り上げてきたと考えられている。


屋敷どり

五ヶ山の合掌住宅は庄川とその支流の川に臨むわずかの台地を選んで点在している。土地が狭いので屋敷は極端に制約され、母屋を建ててその廻りは歩ける程度。前庭だけがわずかに広く、傾斜地を削って平らにし、後ろや前側は石を積んで土留めをしている場合が多い。家の向きは、地形と道路によって様々である。

建物は、母屋と入口付近に建てられた便所くらいで、付属建物がほとんどない。屋敷林や植え込みもあまり見られず、生け垣等もない。


間取りと住まい方

 屋根は特異な切妻型である。間取りは田の字型である。ただし同じ部落内でも妻入と平入、左勝手と右勝手が混在している。入口を入ると土間があり、土間は2つに区切られ、入ったところは「マヤ」と呼ばれる。マヤといっても馬を飼ったのではなく、飼うのは牛が多かった。そのため「ウシノマヤ」とか「ウシマヤ」と呼んでいるところもあった。奥の土間は「ニワ」で、ここには「ミージャ」または「メージャ」や風呂場があった。ここでは紙漉も行われた。

 土間のマヤ側から上ると「デエ」である。普通は板の間で養蚕の最盛期には蚕棚や桑の葉を積んでおく場であった。デエの反対側が「オエ」である。真ん中に「イロリ」が仕切られており、煮炊き、暖房、食事、団らん、身近な接客など、家の中心的な部屋である。オエの奥は「チョンダ」または「チョーダ」と呼ばれる寝室がある。小さな天窓があるだけで、周囲は板壁で仕切られていて暗い。出入りはオエの方から片引きの板戸をあけて入る。その入口の敷居を床から五寸ほどあげて作られた帳台構えと呼ばれる特殊な構造になっているものもある。デエの奥は「オマエ」または「ザシキ」などと呼ばれ、正面突き当りに仏壇と神棚が置かれる。オマエ、デエの外に「エンネ」を設ける場合が多く、神主や僧侶はここから出入りした。デエの奥は「オマエ」または「ザシキ」など呼ばれ、正面突き当りにりした。

 この6室を建てに分けて2列とみれば、一方は接客部分、一方は家族生活部分といえる。即ち、マヤ側には客の出入りする入口が設けられ、そこから上がったデエとオマエは、仏事や集会、宴会などに使われる。台所や風呂場があるニワ側は、そこから上がったオエが家族の日常生活の中心、そして、その奥が寝室ということになる。


屋根


 屋根の勾配は60度くらいである。「ハリガエシ」といって、梁間が3間の場合は3間の合掌丸太を用いるのが普通である。合掌は6尺間に組み、その上に棟木を乗せて頭部を連結する。合掌の間には、まず「ヤナカ」を2尺おきぐらいに横に渡して各合掌を結ぶヤナカは、丸太を半割にしたものを用いる。ただし、一番下のヤナカは丸太で、「クサゲタ」といい、合掌じりがはね出すのを止めている。ヤナカの上には「スジカイ」「ハネバリ」「ハネガイ」などと呼ばれる木を細く割ったものを斜めに矢来型に張り巡らす。次に「クギザオ」の2尺間に縦に当てられる。これが屋根ガヤをぬい縄をかけることになる。クギザオの下端は側桁よりも延びて、「ゲヤ」の部分をも一緒に覆っている。

 このクギザオの上に茅を葺いてゆくのであるが、その前に□を当てる。クギザオの下端には、「カヤモタセ」、「カヤモチ」が横に当てられ、これを起点として屋根が葺かれた。茅をおさえるために「ノイブク」という細いネソやナラの木を用いて、下のクギザオと縄で絞めつける。棟まで葺きあげると「オサエガヤ」を当て、この上にオサエ3本を当てる。オサエは、三角形の頂部近くに突き通された「ミズハリ」に結びつける。棟の両端には茅を一束横に当てる。これを「スズメオドリ」「スズメオドシ」「ケーセ」「ンマノリ」「コグチガヤ」などという。

赤尾道宗と真宗の広まり

赤尾道宗の真宗布教

 阿弥陀仏を信仰し、念仏によって極楽に往生する仏教が五ヶ山山中に流布するのは、井波瑞泉寺開祖の□□上人の入山に因るとされ、赤尾道宗によって定着したとされている。

 道宗の伝記・行状についてはかなり伝説的な事柄が多い。

 文明7年(1475)、平瀬権左衛門の遺児弥七(道宗の俗名)は、まだ13歳の少年であった。叔父浄徳の話に従って9月の初め、親の似顔を求めて筑紫国の五百羅漢参詣に旅立った。幾山河を越え、越前の麻生津に着いて宿泊し、若狭の小浜まで船で渡ろうとした。その夜のこと、夢の中に一人の僧が現れて、筑紫に出かけるよりも当国の吉崎道場に赴き、本願寺の門主蓮如上人に真宗教化をいただいた方がよかろうと告げられた。そこで、弥七は上洛し上人に帰依して信心をいただこうと本願寺に日参した。その結果、大信心を得て上人の愛弟子となり、名前を道宗と名乗った。その後、郷里の五ヶ山に帰り、道場(後の行徳寺)を設けてそこを拠点として浄土真宗の布教に精力的な活動を続けたのである。赤尾道宗は戦国争乱の中にあっても政治的な野心に立つこともなくひたすら蓮如上人の教えを奉じて超人的に活動を続け、五ヶ山全域の真宗布教に全力を挙げた。


五ヶ山の道場


 真宗が越中に広まり始めた頃、求道者を中心に道場が村々に作られ、それが次第に寺院化していったが、五ヶ山では長く道場のまま残った。そして、そこは、俗体の道場坊(ボンサマと呼ばれている)が管理していた。近年になって寺号を受けたり、道場坊が得度して僧侶化したりした場合もあるが道場の機能は本質的には変わっていない。

 形式上道場は本寺の布教所とされているが、運営面でも経済面でもこれをささえているのはムラ共同体である。毎月2度、親鸞の命日である28日と本願寺の前住の命日には、ムラびとがあつまってオコサマ(お講様)を勤める。ムラの生活は精神的な拠り所としてまた公共の集会場として道場と深く関わっている。それが今日までこの形が強固に維持されてきた理由であろう。

 道場はムラごとに1つあるのが普通であるが、1つのムラに2つある場合や、複数のムラで1つの道場をもつ場合もある。

 例えば、下梨では瑞願寺と九里道場(利賀西勝寺下)、相倉では(東)と西方道場があり、大島では称名寺(専光寺下)と西方寺(西勝寺下)がある。これを整理すると道場をもつムラは22となる。平村に所属する藩政村は25であるから、道場のないムラは、田代、障子倉、城の3つしかない。田代は隣の小来栖道場に加入していた。障子倉と城は祖山道場に所属していたようであるが、早くに廃村となっている。

道場の毎朝のお勤めはボンサマの日課である。時期や道場によってまちまちであるが、たいてい朝7時頃に道場へ行き、まず太鼓をたたく。これを「仏起こしの太鼓」という。ついで換鐘を鳴らす。これを「装束鐘」といい、余間(内陣脇の控室)へ入って衣桁にかかっている衣を着る。家からタイジ(落とし蓋のついた箱)に入れてきたオボクサマ(御仏供様)を供える。本尊をはじめ、脇掛・太子様・上人・七高祖・村の物故者の法名などそれぞれに供えるので、オボクサマは6〜7個もいる。お燈明を灯し、花を換えたりする。それから仏前に座って正信偈のお勤めになる。このころ、村人で心ある人はお参りする。ボンサマは専業ではないので、勤行が終わると早々に食事を済ませて仕事に出かける。

雪持林

 田向の雪持林は、カツラの大木が見られることがもっとも魅力的である。直径1メートルを越すものには樹齢300年に達すると推定されるものもあり、トチノキ、ウラゲイタヤ、ケヤキとともに、そのほとんどが遊歩道より観察することができる。ヒメアオキが多いことからヒメアオキ〜ブナ群集としてとらえ、ジュンモンジシダ〜トチノキ群集とともに、ここでの代表群集と考えられる。中・高木として、チドリノキが多いことも特徴である。主な高木として、トチノキ、ケヤキ、カツラ、モトゲイタヤ、ハクウンボク、サワグルミ、クマノミズキ、イヌシデ、シナノキ、ウリハダカエデ、ハリギリ、ウラゲエンコウカエデ等があり、適当な密度を保っている。海抜500メートルからは、ぬまと呼んでいる窪んだ急斜面となる。ここには、約10メートル登るごとにコンクリートの土砂止めが設置されているが、雪崩止めと兼用しているのであろう。これよりトチノキが主体となり、海抜600メートル辺りよりブナ林にかわるものと思われるが、双眼鏡調査のため詳細は明確でない。勾配も急であり、根曲がり樹形もわずかにみられうが、枝折れ、根返り、元折れも見られず樹形もよい。やや前倒れ気味である。



直径50cm以下の草木(特記したいもの…◎ 比較的多いもの…◇)

<全体大木>

◎チャボガヤ モトゲイタヤ カツラ サワグルミ トチノキ ケヤキ クマノミズキ ハリギリ チドリキ ウラゲンコウカエデ サワシバ ホウノキ イヌシデ ミズナラ ブナ キハダ タテヤマスギ ヒメアオキ ミヤマシキミ ヌルデ クマシゲ オニグルミ ミヤマハハソ ウリノキ ヤマウルシ オオバクロモジ ムラサキシキブ アカメガシワ キブシ

<草本>

◇ウワバミソウ オオアキギリ ミヤマイラクサ クサボタン サカゲイノデ ミゾシダ リョウメンシダ ジュウモンジシダ セキヤノアキチョウジ ナンブアザミ カガノアザミ コアカソ メナモミ トキホコリ ホクリクネコノメソウ

※ 調査メモ(木の太さと本数)




























  ブナ カツラトチ 
50cm〜100cm17
20cm〜50cm30
0cm〜20cm15


(『富山県平村の雪持林(なだれ防止林)の概要調査』より)


【第56回歴史地理学会大会実行委員会 砺波市立砺波散村地域研究所 巡検資料『五箇山から砺波へ』2013年より抜粋】

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