合掌造りといえば入母屋でも寄棟でも合掌組のものはすべて合掌造りであるから、五ヶ山の合掌造りは、正確には切妻合掌造りというべきであろうが、五ヶ山の民家は三角の印象が特に強いのでその名を独占している。
五箇山の合掌は、屋根の形から連想し古代の天地根元造りの残ったものではないかと考えられたこともあったが、根元造りは掘立柱がまっすぐ通って棟を受ける形式であるから、似て非なるものである。また、古代母系制時代の名残である大家族の住むための住居ともいわれるが、五ヶ山では、かつて厳密な意味での大家族が存在した事実はないようである。
むしろ、一年近くを雪に埋もれて暮らすために付属建物を作らないで生活のすべてを一棟の中に取り込む必要があったという風土的な条件を考えねばなるまい。また、養蚕をするためには屋根裏の広い空間を必要とし、その明かりを取るためには切妻が何より好都合でもあった。また、牛馬を飼い、紙を漉き、塩硝を作るためには土間を広くとらねばならなかった。こうした風土的生産的条件が合掌造りを作り上げてきたと考えられている。
屋敷どり
五ヶ山の合掌住宅は庄川とその支流の川に臨むわずかの台地を選んで点在している。土地が狭いので屋敷は極端に制約され、母屋を建ててその廻りは歩ける程度。前庭だけがわずかに広く、傾斜地を削って平らにし、後ろや前側は石を積んで土留めをしている場合が多い。家の向きは、地形と道路によって様々である。
建物は、母屋と入口付近に建てられた便所くらいで、付属建物がほとんどない。屋敷林や植え込みもあまり見られず、生け垣等もない。
間取りと住まい方
屋根は特異な切妻型である。間取りは田の字型である。ただし同じ部落内でも妻入と平入、左勝手と右勝手が混在している。入口を入ると土間があり、土間は2つに区切られ、入ったところは「マヤ」と呼ばれる。マヤといっても馬を飼ったのではなく、飼うのは牛が多かった。そのため「ウシノマヤ」とか「ウシマヤ」と呼んでいるところもあった。奥の土間は「ニワ」で、ここには「ミージャ」または「メージャ」や風呂場があった。ここでは紙漉も行われた。
土間のマヤ側から上ると「デエ」である。普通は板の間で養蚕の最盛期には蚕棚や桑の葉を積んでおく場であった。デエの反対側が「オエ」である。真ん中に「イロリ」が仕切られており、煮炊き、暖房、食事、団らん、身近な接客など、家の中心的な部屋である。オエの奥は「チョンダ」または「チョーダ」と呼ばれる寝室がある。小さな天窓があるだけで、周囲は板壁で仕切られていて暗い。出入りはオエの方から片引きの板戸をあけて入る。その入口の敷居を床から五寸ほどあげて作られた帳台構えと呼ばれる特殊な構造になっているものもある。デエの奥は「オマエ」または「ザシキ」などと呼ばれ、正面突き当りに仏壇と神棚が置かれる。オマエ、デエの外に「エンネ」を設ける場合が多く、神主や僧侶はここから出入りした。デエの奥は「オマエ」または「ザシキ」など呼ばれ、正面突き当りにりした。
この6室を建てに分けて2列とみれば、一方は接客部分、一方は家族生活部分といえる。即ち、マヤ側には客の出入りする入口が設けられ、そこから上がったデエとオマエは、仏事や集会、宴会などに使われる。台所や風呂場があるニワ側は、そこから上がったオエが家族の日常生活の中心、そして、その奥が寝室ということになる。
屋根
屋根の勾配は60度くらいである。「ハリガエシ」といって、梁間が3間の場合は3間の合掌丸太を用いるのが普通である。合掌は6尺間に組み、その上に棟木を乗せて頭部を連結する。合掌の間には、まず「ヤナカ」を2尺おきぐらいに横に渡して各合掌を結ぶヤナカは、丸太を半割にしたものを用いる。ただし、一番下のヤナカは丸太で、「クサゲタ」といい、合掌じりがはね出すのを止めている。ヤナカの上には「スジカイ」「ハネバリ」「ハネガイ」などと呼ばれる木を細く割ったものを斜めに矢来型に張り巡らす。次に「クギザオ」の2尺間に縦に当てられる。これが屋根ガヤをぬい縄をかけることになる。クギザオの下端は側桁よりも延びて、「ゲヤ」の部分をも一緒に覆っている。
このクギザオの上に茅を葺いてゆくのであるが、その前に□を当てる。クギザオの下端には、「カヤモタセ」、「カヤモチ」が横に当てられ、これを起点として屋根が葺かれた。茅をおさえるために「ノイブク」という細いネソやナラの木を用いて、下のクギザオと縄で絞めつける。棟まで葺きあげると「オサエガヤ」を当て、この上にオサエ3本を当てる。オサエは、三角形の頂部近くに突き通された「ミズハリ」に結びつける。棟の両端には茅を一束横に当てる。これを「スズメオドリ」「スズメオドシ」「ケーセ」「ンマノリ」「コグチガヤ」などという。
ブナ | カツラ | トチ | |
50cm〜100cm | 0 | 8 | 17 |
20cm〜50cm | 5 | 5 | 30 |
0cm〜20cm | 5 | 1 | 15 |
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