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伝恩光寺跡の二本杉

2013.4.9

増山城主ゆかりの寺跡にそびえる巨木

伝恩光寺跡の二本杉

伝恩光寺跡の二本杉

伝恩光寺跡の二本杉(でんおんこうじあとのにほんすぎ)

昭和62年3月30日・市指定
砺波市庄川町庄

 この開基は増山城主神保氏といわれます。開祖の月桂立乗禅師は、上市町の眼目山立山寺(さっかさんりゅうせんじ)を開いた一人といわれています。神保氏がこの地に菩提寺を建立したのは、応永15年(1408)頃。恩光寺に現存する位牌には、増山城主神保氏のほか木船城主石黒氏がありますが、永正年間(1504〜)一向一揆の騒乱で、恩光寺は兵火にあい、六代存光和尚は寺を出て井波に草庵を結び、それ以来140年間、金剛寺村の恩光寺は無住時代が続き、その後、天正7年(1579)夏の長尾為景の兵火で朽ち果ててしまいました。
 阿曽三右衛門が荒廃した恩光寺を福野へ移そうとしたのが承応2年(1653)のことであり、その跡地に庵室を建て、知淨という僧を残し遺跡を守らせました。この庵は宝永年中(1704)まであったと言われています。
 現在 旧跡には小さい薬師堂があり、スギ大樹が二本そびえ立っており、寺跡は寺屋敷ともいわれ、付近一帯の地は「知淨」の名で呼ばれています。この薬師堂に向かって左側(北側)のスギは、目周り4.6m枝下6.0m。右側(南側)のスギは目周り4.0mで、いずれも樹齢は400〜500年と推定されています。
 左側のスギは樹勢良く大変に健全ですが、右側のスギは落雷により割裂腐朽が入り、樹勢は相当衰えています。

  • 伝恩光寺跡の二本杉

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    伝恩光寺跡の二本杉

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    矢竹看板

アクセス
砺波ICから車で20分