伝長尾為景塚
2014.11.27
越後の長尾為景が討死したとの伝承
伝長尾為景塚
平成23・1・26登録
砺波市(砺波市頼成新)
栴檀野の頼成新には、戦国武将にまつわる塚があります。それが今回ご紹介する「伝長尾為景塚」です。
明治作成の絵図には「長尾塚」と記されていますが、もっとも古い記録では宝永元年(1704)に「為景塚」と加賀藩へ報告されていたので、元々そのように呼ばれていたのでしょう。
さて、なぜ頼成新に越後長尾氏に関連した塚が残っているのでしょうか。
永正3年(1506)、一向一揆と越中守護代神保氏が対決した「芹谷合戦」がありました。そのとき、神保氏の要請を受けて出陣した越後守護代の長尾能景(上杉謙信の祖父)が討死を遂げているのです。
実際に能景の息子である為景は、のちに越後の春日山城で没していますが、この塚は長尾にまつわる戦乱を後世に伝える伝承地として大切にされています。