若林の歴史をひも解いて
2016.3.3
【2016.02.28Facebook記事より】
憶念寺
若林の歴史をひも解いてみたいと思います。
まずは狐島のはじまりの話をしましょう。ときは14世紀、南北朝時代のこと。狐島の憶念寺さんの寺伝によれば、祖先は南朝の武臣だったのですが北朝が優勢だったので、応安年中(1368〜1374)に畿内から現在の狐島に移って来たそうです。野原庄左衛門と名乗り、土地を開拓しました。この人物こそが村の開祖であり、寺の祖先であるとの言い伝えです。
その憶念寺には恐ろしい伝承があります。
織田信長が越前の一向一揆を制圧しようとしていた頃、木舟城主石黒左近将監は織田方の味方につき、真宗寺院を焼き払おうとしました。石黒左近は水島の勝満寺を焼き、憶念寺の襲撃を企てました。
それを聞きつけた憶念寺の住職は村の若者を集め、西中の森で待ち伏せしました。その夜、石黒左近が通りがかったところ縄に首をかけて落馬し、首級を取られました。その森は「頭なしの森」と呼ばれていたそうです。
義仲の伝承をまとめておきましたよA
高波に善照寺さんというお寺さんがあります。
ここのご住職の姓は義仲から賜ったものだという言い伝えがあるそうです。