正倉日記

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若林の歴史をひも解いて 3

2016.3.10

【2016.03.06Facebook記事より】

【2016.03.06Facebook記事より】

【2016.03.06Facebook記事より】

若林の歴史シリーズ第3弾は下中のはじまりについてご紹介したいと思います。

 そもそも下中というのは、ひとつの村が分割されて出来た地名です。もともとは「中村」という村があり、それが下中、西中、東中、上中(狐島)の4つに分かれたといわれます。

 そこに庄川の支流である中村川という川が流れていました。中村川は江戸時代の中頃には姿を消し、その代わりに鷹栖口用水と若林口用水に整備されました。

 下中で古い家柄というと、江戸時代に肝煎役を勤めた佐次兵衛(津川家)、仁右衛門(中川家)、善九郎(松本家)などがあります。そのなかの津川家の墓碑のよると、先祖の左次平は越後の津川郷(いまの新潟県東蒲原郡阿賀町)の出身。長尾為景の出兵に従い、増山城をはじめとして越中を転戦したあと、下中に安住の地をもとめました。

 左次平は八幡宮(いまの中村埜神社)を建立し、原野を開拓し、豪農となったということです。下中は戦国時代頃からはじまったと考えられます。