正倉日記

 

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宗半塚

2021.11.27

宗半塚

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■宗半塚・砺波市庄川町庄

主要地方道新湊庄川線を車で走ると、庄川町庄金剛寺地区がある。
道路縁に教育委員会が設置した砺波市指定文化財とふるさと文化財の案内板横を東側に曲がり、恩光寺林道を上って行くと、右手に砺波市指定文化財である伝恩光寺跡の二本杉が見えてくる。
宗半塚はそこを過ぎてしばらく行った先の右手、林の中にある。

『加能郷土辞彙』によると、中川宗半(若名は清六、のちに光重)は、尾張(愛知県)出身で、初め織田信長に仕え、後に前田利家の娘蕭姫の婿となり利家に仕えた。増山在城時、宗半は一時滅びた恩光寺に重ねて寺禄を寄進し、同寺を再興したという。老後は恩光寺に退き、巨海斎宗半と号した。慶長19年(1614)53歳で没し、この地に葬られたと伝えられている。

市内では、増山城最後の城主ということでご存知の方も多いのでは…。

中川宗半が生まれたのは永禄5年(1562)。
その頃の増山城の出来事と言えば、
生まれる2年前、永禄3年(1560)、長尾影虎(のちの上杉謙信)が越中に出兵。神保長職は富山城から増山城へ逃げるも影虎の追撃に再び落ちのびる。
永禄11年(1568)には、増山城の神保長職が上杉方に属し、一向一揆と戦う。
謙信にとって増山城は因縁の城!
戦はあっちにつきこっちにつきと、生き残りをかけてまさに戦国時代!
天正14年(1586)、『上杉景勝上洛日記帳』には、上杉景勝が上洛の途中中田において中川清六(光重)の饗応を受ける。と記録があり24歳の城主宗半がおもてなしをしていた。

今、宗半ゆかりの城は平成21年国指定史跡となり、申し込みをすれば現地の専門解説員や解説ボランティア「曲輪の会」のメンバーが城跡をわかりやすく案内してくれます。遺構の他に歴史についても触れるので、必ず宗半の名は登場しますよ〜♪

★★お★ま★け★★
第3回 増山城戦国祭り 
日付:10月30日(日曜日) 
時間:10:00〜16:00
会場:増山城跡(砺波市増山)
問い合わせ先:増山城戦国祭り実行委員会
(栴檀野農村振興会館内)TEL/FAX 0763(37)2056

【2011年08月17日15:19 「ふるさと学芸員の小窓」より】